違和感って大事だ

TPAMで見たいくつかのシンポジウムとショーケースからふたつ覚え書き。

劇作家 平田オリザさんと政治学者姜 尚中さんの対談(モデレーターはチェルフィッチュ岡田利規さん)「開かれた劇場」というテーマでいくつか興味深い実例と考察。

ヨーロッパでの創作、上演に携わった平田さんの実感での劇場の充実度、それに比べての日本の視野の狭さの実例がなんともリアル。
(瀬戸内国際芸術祭で、地元の議員が「地元のアーティストをもっと起用すべき」と言っちゃうとかね)

一方グローバル化すればするほど、ローカル化の純化が始まり、地域文化を大事にすることに行き過ぎるジレンマが起こる。(一歩間違うと愛国的になっていくような)
でも逆に、民族、人種を超えることができるのは「資本の力だ」という姜さんの考察も面白かった。

でもなあ、時間切れと議論の進め方の難しさで、消化不良感が…
モデレーター岡田さんが違和感を指摘しながら、突っ込みきれなかった
「ヨーロッパモデルが世界の最先端」だとしてサッカーを持ち出して比較する平田オリザさんの価値観には、私もなんとなく世代の古さというか違和感がありました。
人から話を聴き出してそれを深めるには、やっぱりすごく準備と知性と、ある程度の時間が必要なのじゃないかな、この贅沢なメンバーなのに場当たり的に感じたのがもったいなかった。

もうひとつ印象に残った作品は、
シンガポールとメルボルンのアーティストの共同制作「Bunny」
出演者自身も縛られ、観客も縛られ、
一体これはなんなんだ〜!?というパフォーマンスでした(笑)
すごく身体性の高いアーティスト達だし、
縛る技術も様式もきちんとしてるし、
そのやり方もけして無謀ではなく細心の注意を払っているのだけれど、
それでもなお不可解で不愉快で、観る人の心をざわつかせる、意図的に「違和感」を生み出す舞台。
途中退場のお客さんもずいぶん多かったし、私も困惑しながらも、終わりを確かめたくて、2時間頑張った(笑)
特別ドラマティックな事が起こる訳ではないエンディングで、それでも拍手が起こり、帰り道に泣けて来たのは、あれはなんだったんだろうと終わった後ずっと考えていて、
「縛る」という真逆の方法で、あらゆる自由を表明したように感じて泣けたのかなあと思いました。

私、けして好きな表現方法じゃなかったけど、
この形で表現することに彼らが挑戦していて、
それを観る側が拒絶したり、受け入れたりすることも保障されていて、
一つの答えにまとめない余白があること、
それはすごく大事なことのような気が、帰ってからしました。

見てるときは我慢の連続(笑)だったけど、
こういうものもあっていいのだ。

あ、それ以外、全く心に引っかからなかった舞台があったことも付け加えておきますが、多様性ってそういうことだよね。と思ったTPAMでありました。