私の沖縄ノートのきれはしvol.4 [2014年 おばーのみそ汁]

沖縄の言葉に「あじくーたー」という表現がある。ただ単に味が濃いという意味ではない。「しょっぱい」でもなく、「こってり」とも違う。沖縄育ちではない私はその言葉を正確に説明することはできないが、私の思い出の中にもひとつだけ、「あじくーたー」としか表現し得ない料理がある。それが、沖縄の祖母が作ったみそ汁だ。
今は寝たきりで病院にいる祖母(親しみを込めて『おばー』と呼ぶ)がまだ家で一人で暮らしていた頃、数十年ぶりに家に一泊させてもらった。日中は親戚たちと外で食事をして、翌朝目覚めたら、台所から物音がした。見ると、膝の悪いおばーが、台所のふちに体重をあずけながらゆっくりと野菜を切っていた。
「何にもできないけど、おみそ汁だけは作りましょうねえ」とおばーが言う。
「昔はあんなにお料理上手だったけれど、もうお料理はできないのよ。今はお弁当を買っているの」と叔母が言って、前の日のうちに朝の惣菜を買って用意してくれていたから、台所に立つおばーの姿に胸をつかれた。
おばーは、大きな袋から鰹節の荒削りをわしっと手づかみで、鍋のお湯に投げ入れた。
「これくらい入れないとおいしくないからね」
鍋の上で鰹節はひらひらとかげろうのように揺れながら鍋に沈んでいく。湯の中で鰹節がぐるぐると泳ぎ、ぽこぽこと沸騰してしばらくしてから、金魚すくいのように素早い動きで、おばーが鰹節を引き上げた。薄いあめ色のお湯から出汁の香りが立ちのぼる。そこへざくぎりにしたニガナを入れる。ニガナは沖縄の野菜で、名前の通り苦味が強い。間髪入れずに味噌を溶きいれて火を止め、熱々をよそってご飯とお惣菜で朝ごはんになった。
おばーは口数が少ないので、食卓はとても静かだ。久々の孫と子の照れと気まずさの混じり合う静けさの中、みそ汁を一口すする。鰹節の強烈な香りとニガナの青臭さが混じり合い、目にまでしみてきそうだ。ニガナの強い苦味さえ、鰹節の前では脇役。そして味噌は、黒子のように控え目だ。薄味なのにうまみの強い、今まで味わったことのないみそ汁だった。
「おいしい」と絞り出すように私が言うと、不安そうだったおばーの顔がふわりと晴れた。
おばーは昔から物静かで穏やかで、とことん優しい。しかし、戦火の中私の父を守り、一人で子育てをして、80代まで働き続けた。このみそ汁は、優しいけど強い、しなやかだけどぶれない、おばーの性格そのものだ。これが「あじくーたー」というのだろう。
家に帰ってから、私は何度もおばーの手つきを真似してみそ汁を作ってみるが、どうしても同じ味にならない。出汁は薄く、塩味は強く、野菜の味はぼけてしまう。ぼんやり生きてる私は、おばーのようにぴしっと目が覚めるようなみそ汁がいまだに作れず、ぼんやりしたみそ汁を作っている。もう一度教わりたいのに、それは叶いそうにない。
※写真は、おばーの買ってるお弁当じゃなくて、私が買ってファンになったお弁当