エッセイ 5 10月 2024 美術館は問いかける 忘れられない出会いがある。薄暗い小さな部屋で、たった一人で対面したエル・グレコの《受胎告知》。見た瞬間、ああ、というため息がこぼれ、絵と出会うとはこういうことかと知った。 だから、仕事の旅の途中でふと倉敷に寄ろうと思い立ったとき、「あそこには大原美術館がある」と思うだけで心の中にポッと柔らかい光… 続きを読む
エッセイ 17 5月 2022 私の沖縄ノートのきれはしvol.3 [2022年 おばと沖縄復帰] この話は、2021年秋に沖縄に行ったときにおばと会ったあと書いたものです。その後、沖縄タイムス社の「沖縄の生活史」聞き取りプロジェクトに応募し、このときのおばの話をさらに聞きました。(沖縄タイムスにて公開)この記事は、その前の個人的な記録として残しておきたいなあと思っています。 「本土復帰は、世界が… 続きを読む
エッセイ 26 3月 2022 一つ歳を重ねて 無事に一つ歳を重ねました。 誕生日が3月だからか、いつも個人的な新年は春分の日あたりなのですが、今年は特に、今月頭からの蕁麻疹に悩まされ、ようやくすっきりしてきたので、なおのこと「新しい年」という感じです。 新しい、といえば、来週は新しい取り組みで沖縄〜京都へ。 沖縄は、沖縄タイムス社の「沖縄の生活… 続きを読む
エッセイ 17 1月 2022 私の沖縄ノートのきれはしvol.2 [1980年 父と昭和] 1980年 父と昭和 「お父さんはパスポートを持って日本にきたんだぞ。沖縄はお前が生まれるちょっと前まで、アメリカだったんだぞ。お金はドルだったし、車も右側通行だったんだぞ」 父は、生粋のウチナーンチュである。沖縄本島で戦争中に生まれ、母(私の祖母)に女手一つで育てられ、高校卒業後、集団就職で195… 続きを読む
エッセイ 28 12月 2021 私の沖縄ノートのきれはしvol.1 [2021年 首里城の御庭の前] 2021年 首里城の御庭の前 2021年10月、7年ぶりに訪ねた沖縄は、静かだった。那覇の国際通りは、緊急事態宣言が解除されてもまだ休業している飲食店も多く、以前なら数十メートルおきに声をかけてくる客引きや陽気なタクシーの運ちゃんにも(「ワンメーターでも乗っていきなよ」にいつも笑ってしまう)、道端で… 続きを読む
エッセイ 1 9月 2021 9月1日のひとりごと 9月か・・・ため息(笑) SNSにアクセスしても、言葉を失ってしまって、そっと閉じる、の繰り返しでした。夏が終わるから、なんとなく近況です。 緊急事態宣言下での今年の夏は、いろいろ引き裂かれる気持ちの多い月でした。喜多方のフェスになんとか出演できて、岐阜や豊田の公演が、主催者の大いなる努力で実現でき… 続きを読む
エッセイ 17 4月 2021 500字書評:人新世の『資本論』 「資本主義はもう終わる」と半ば直感的に感じたのは2017年頃。 小さくて有機的なコミュニティが同時多発的に増える一方、拝金主義も跋扈して、その断絶に愕然としていた頃だ。 私より10年若い斎藤幸平さんのこの本は、緻密なマルクス研究の上に立ち、真っ直ぐに資本主義を「終了宣言」させている。見事な説得力。 … 続きを読む
エッセイ 30 9月 2020 努力や想いの届かない世界にある自由 秋晴れの今頃は、普通の生活にもどっているだろうと、3月の頭には思っていた。 依頼されていた舞台も、「秋なら大丈夫だろう」と当初思われていたから、この時期に延期になっていた。 というわけで、今は、その舞台をどう実施するのかという対策や、文化庁の補助金によって企画されたものなど、様々な仕事が飛び込んで来… 続きを読む
エッセイ 13 7月 2020 生きていくことはリスクを取ること 舞台の再開が徐々に始まりましたが、正直制作者としての私は迷いまくりです。 実際に再開の現場にも立っているので、生の音楽、生の舞台が人へ与えることのすごさを目の当たりにしているし、自分の心身でもそのエネルギーを実感しているから、「やっぱり舞台は生だ」と確信を持っている。 それでも、この先具体的にどのよ… 続きを読む
エッセイ 1 7月 2020 慌ただしくなったのに、コロナは終わってない コロナと生きる2020年の日記。だいたい私は忙しくなると日記を書かなくなるので、この日記を自然と書かなくなった頃には、コロナが終わっているのだろうな〜と呑気にかまえていたのだけれど、残念。日記が途切れたのに、コロナは終わっていない。 6月に入り、延期された公演の再調整が同時多発的に始まり、どのような… 続きを読む