踊る音を聴く。「MURATA黄昏」レビュー

2022年最後に観た舞台は、ちょっと、いやかなり変わっていた。
会場は渋谷の裏通りの倉庫を改装した小屋。
そこにあるセットは、手作りの学芸会のような犬小屋とりんごの木や草むらで(どれもチープ感満載)
真ん中のボードの上には、白いタップシューズ。
タップダンサー村田正樹さんのソロ公演「MURATA黄昏」である。

といっても、なかなかタップは始まらない。BGMが煽られ、照明と共に落ちていく雰囲気のよいスタートに期待すると、登場した村田さんは、普通に話し始める。靴を履いて始まったのも、コントのようなオムニバスと、紙芝居に託した説明。
なんだかシャイでずっと照れ隠しをしているようで、でも絶妙に洗練されてもいる。

タップを踏み始めると、空気がそっちに向かってすいこまれるような重力を発するのだが、どれも私たちがいわゆる「タップダンス」としてイメージするベタなシチュエーションをさらっとかわし、照れ隠しのように見せながらその先入観をぶち壊していくストロングスタイル。

タップを料理しまくっている。

基本のステップを一個一個解説しながら踏み続けたり、自分と棒で繋いだ人形と一緒に踊ったり、「靴を忘れた時の踊り」として圧巻のボイスパフォーマンスの音声と共に踊ったり、実にユニークな構成なのだけど、別に「タップってこんなこともできるんだぜ」と言っているわけではなく、自身の持つ、混沌とした世界を何かで伝えようと翻訳していくと、”その手段はタップダンスだった”という感じ。だから、ダンスは目的ではなく、あくまでツールとして見える。

要は、「タップ公演」ではなく、あくまでなんかやべーやつ(失礼)の世界を爆発させる「ソロ公演」なのだなと、めちゃくちゃ愉快な気分で眺めた。

でもラスト、話の延長のように始まったダンスには圧倒された。

音楽を背景に、バックに流れる雑踏や街の風景映像も背景に、そして観客も背景にして、村田さんは真ん中で一人踊る。

ひとり。

こんなにいろんな音や光やに囲まれて埋もれているのに、タップの音を通して彼の姿がピンと浮き上がり、その心の奥底まで赤裸々に映し出す。

その時タップは、目的でもツールでもなく彼の言葉そのもの、存在そのものだ。

人は誰でも、自分のことをカッコよく見せようとか、少しだけ良く見せようとか、誰かを喜ばせたいとか笑わせたいとか感動させたいとか変えたいとか思うのに、あの瞬間だけは、その邪念が全部取り払われた世界に放り込まれた気がした。

発する存在が、ひとり。受け取る私も、ひとり。この強烈な孤独の心地よさを受け取りながら、涙が止まらなくなった。

なるほどなあ、これがソロ公演というものか。
誰にも代わることができない、その人自身の表現を、目の前で一対一で受け取る感覚こそ、ソロ公演の醍醐味なんだな。

圧倒されたまま、ぼんやり歩く帰り道、渋谷駅に入ってくる電車の音が、踊っていることに気づいた。
タップの音に聴こえてきたのだ。

ああ、本当に素晴らしい舞台は、見える世界を変えるなあ。
年末の雑踏の中に、ずっと踊る音を聴く年の瀬になった。


村田正樹 MURATAP サイト
https://www.muratamasaki.com