文章は、誰でも書けるからこそ「職業としての小説家」

村上春樹の「職業としての小説家」

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あー久々に読むこんなに読みやすい文章!
丁寧で、語弊が生まれないようにきっちりと正確さを期す文章、なのに平易。
美しいなあ〜と呼吸をするように思って気づいた!

私このひとの文章で、思春期のある時期を育ったんだった。
背伸びしながらダブル村上(笑)リュウ、ハルキ、リュウ、ハルキと交互に読んでくたびれ果ててたんだった。

人は食べたものでできている。
というけれど、
人は読んだものでできている。
というのも私は信じている。

この方をはじめ、何人かの作家の文章が私の基準値のひとつとなって、もはや血肉になってるから、読みやすいのはあたりまえなのだった。(もちろんその文章力も存分に感じるところです)

と内容以前の感想を抱いたところで中身。

文章を書くことは「誰でもできること」と捉えたところから始まる職業論は、
そのまま「役者」でも「ミュージシャン」でも「誰でもできること」すべての創造活動に当てはまるなあと思いながら読んだ。
誰でもできることとプロの職業の分岐点はなんなのか。
書き続けられること。それが世の中から必要とされ続けること。

それを続けるための淡々とした日々のルールを自ら作り、
一個ずつ技術を積み重ねていくことの凄み。(最初1人称でしか書けなかった、なんて読んで初めて気づいた!)

これは昔だったら読んでも面白くなかったかもしれないなと思った。
いわゆるドラマティックな作家らしい作家生活のことは何にも書いてなくて、
あっさりすぎるくらいあっさりとした職業小説家。
それでも、書く資格を与えてもらっている、という表現からは、
何者か大いなる宇宙への敬意みたいなものを感じます。

でも、若い頃だったらそういうの目に入らなかったかもしれないな。
アウトローに憧れただろうな。

今ならわかる。ものを作り続けることが、しかも健康にものを作り続けることがどれほど地味なことの積み重ねかということ。
そのことを、村上春樹さんから答え合わせをしてもらったかのようでした。

意外だったのは後半の口調の強さと熱さ。
学校教育に対してや原発に対してなど、社会のシステムへの言葉の強さに、
ちょっと虚を突かれる思いがして、でもちょっとうれしいなと思ったのでした。
小説の中ではあまり「熱」を持たせない村上さんの文章の中に、素の温度を感じて。


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