感動したくない病

毎日のヨガ、散歩とプチジョギング、自炊、掃除。満たされた睡眠。
正直、仕事が立て込んでいるときよりずっと健康的。
でも、それが「健康そのもの」ではないのはよくわかっている。
なぜなら「感動したくない」から、心が動くことを避けて通っているから。

舞台のキャンセルが続きまくっていちいち凹んでいた3月に比べると、4月のキャンセル連絡は正直慣れっこになってしまって、むしろ連絡をくださる主催者の方が半泣きの電話が増えてきた。3月の頃は「年内に延期しましょう!」だったのが、いつになるか、いよいよ読めなくなってきたからだ。

逆に、私は(同業者も割と)もう長期戦モードにシフトしたので、いちいち泣いたり落ち込んだりしなくなった。生き方そのものを変えるしかないのだと、決意に近い気分でいる。ある意味、底を打って、低空飛行のまま、この状況をやり過ごそうと決めたかんじ。

でも、それは感受性豊かに、感激屋で泣き虫で正義感たっぷりで怒りっぽくて、さみしがりやでもある、自分本来の内面からしたらありえないことだ。喜んだり感動したりすることを避けて、低め安定の冷温停止状態を保たないといけないとわかっているから。

どんなに体が健康になっても、これは健康とは呼べない。

体と心の健康は、本当に微妙なバランス。
今は、心の不健康を、体の健康で補っている感じ。
このバランスが取れるのが究極の健康なんだろうな。

「落ち込んではいない、私は大丈夫。全然毎日充実してるし平和。こんな貴重な時間ありがたい。」
それは事実。私は、コロナが終わっても完全に前のように戻りたいとは思えないし、体をちゃんとメンテナンスできる状況を、この後も確保したいと思う。
でも。それは本当に100%の真実じゃない。
そう言えてしまう自分を、ついそうやって人に言ってしまう自分を、いつでもちょっと疑っていないといけないなと思う。
たまに、泣いてあげないといけないかもなと思う。


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