慌ただしくなったのに、コロナは終わってない

コロナと生きる2020年の日記。だいたい私は忙しくなると日記を書かなくなるので、この日記を自然と書かなくなった頃には、コロナが終わっているのだろうな〜と呑気にかまえていたのだけれど、残念。日記が途切れたのに、コロナは終わっていない。

6月に入り、延期された公演の再調整が同時多発的に始まり、どのような実施が可能かというガイドラインを調べて対策を考えること、秋以降の事業を再開するための助成金や補助金のこと、遅れに遅れている来年の企画のための宣伝活動、そして、再開が少しずつ始まったリハーサルや舞台本番を新しいガイドラインに沿わせるための対策。一時期止まっていたライティングの仕事もこういうタイミングで一緒に戻ってきて締め切りも複数。「会って相談しよう」系も増えてきて、とにかく考えることとやることが一気にやってきて、自粛で隠居モードでのんびり本など読んでいた私の脳みそは、全然ついていかない。

そして、まだ本番が復活しないなら、新たな勉強をしておいてもいいだろうと申し込んであったオンラインの勉強会も、すっごく楽しみにしていたのに脳みそ息切れしながらの参加で、エネルギー注ぎきれないのが悔しく、「こんなスピードで元の生活に戻らなくてもいい!」と心の中で叫びました。

でも。やっぱり舞台の受付に立てば、心から喜びが湧き上がるし、やっぱりこの仕事が大好きだと思うし、一瞬でその世界に戻ってくる。この数ヶ月が幻だったかのように感じてしまう。それはそれで、とても幸せなこと。

でもでも。人と会ったあとはどっと疲れ、帰ってきた途端に眠ってしまうことも。人と会ったエネルギーを沈静化させるのに時間がかかり、やっぱり自分の中の何かは変わってしまった。もうそんなにマルチタスクできないよーと弱音も出そうになる。

そんなこんなが襲い掛かった6月でした。
一方でじわじわと感染者数は増え続けていて、人間として人と繋がる暮らしをすることと、ちょっとスピードダウンした方がいいんじゃないかということとの間の自分のスタンスが決めきれずにいる。

まだ、コロナと生きる方法が落とし込めない。舞台も「やれる方法はある!」と思ったり、怖くなったり、急がなくてもいいじゃないかと思ったり、ゆらゆら。
今年後半、全く予測がつかない。本来の今年前半のように、予定はがっつり埋まっていってはいるが、本当に予定が実現するかどうかなんてわからない。
3月、4月、5月のほぼ全てのマスに二重線を引いた手帳を眺めながら、この夏以降自分が頑張るモードになればいいのか、のんびりモードになればいいのか、わからずにいます。
企画も立てていますが、同時に中止の対策まで込みで立てなくてはいけない。それでも、何も浮かばなかったり何も動けなかったりするよりは、いいのかもしれない。これすら壮大な暇つぶしかもしれない。積み木を積んで壊してまた新しく積み直して、新しいイメージが湧いて、というチャンスかもしれない。

そんなことをもやもや考える梅雨の午後なのでした。