「役に立たない」ことの存在価値

「3.11を忘れない」という、演劇団体が集まって企画された催しを初めて観に行けました。
この時期毎年、様々な形で開催されるものにいつも複雑に胸が痛み、正直いまだに自分のスタンスを持ち得ないのですが、先輩舞台仲間たちが、やろうとしていることが観たくて。

福島に拠点を構える劇団の方が語る「福島の今」

それぞれの団体で活動する俳優達のリーディングのコラボ「海から来た子」

子どもと遊びをテーマに活動する俳優がコーディネートする「こどものいのちとこころの対話」

そして、震災をテーマとした作品を上演している釜石のアマチュア劇団を招聘して「平行螺旋〜へいこうスパイラル〜」

長い一日を通して思ったのは、

あらゆる言葉で、あらゆるリアルを語ること、
固い言葉で、やわらかい音楽と共に、遊びという手法で、芝居という表現で、その人にとって一番自分の実になっているあらゆる表現手段を使って、その大きな問題に光を当てていくことで、全体を通して見える事があるんだなあということ。

それは、もはや震災というひとつの出来事を超えた、この国全部の子ども、ひいては大人達のとてつもない閉塞感みたいなもの。
向き合うべきは、震災そのものではなく、それに対する政府の対応云々だけでもなく、一人一人の中にある硬直感や冷たさ、しんどさ。

それを解決するのに唯一無二の方法なんてないのだな、舞台芸術に力があるのではなく、あらゆる表現とあらゆる集合知で、違う視点の人たちと手をつなぎ、みんなで一緒にちょっとずつほどくのが、これからの在り方なのかもしれないな。

舞台とか、遊びとか、何の立たないものを、「役に立つんだ」と言う事じゃなくて、目的解決に使うのではなくて、役に立たないまま存在させる事に、私は閉塞感の風穴があるような気がしています。

ああ、そうか、「役に立たない」という事を逆手に取ったり、そのことを大事にしている作品やテーマが奇しくも集まったように思うな、この日一日。
効率至上主義の真逆(笑)いいと思います!