生きるモノと暮らすように。
2016年1月15日
秋の始め、輸入専門の古着屋で、しわだらけ、毛玉だらけ、よれよれの一着のセーターをみつけました。
絶対に手に取るはずのないみすぼらしい見た目なのに、触れたらびっくり。
すごいなめらか。やわらか。タグを見るとイタリアのカシミヤ。なのに値段はヒートテックみたいな(笑)
日本の量販店のカシミヤを触った事はあっても魅力を感じた事は今までなかったのに、
それは見た目のみすぼらしさを凌駕するほどの手触りで、これをなんとか連れて帰りたい、
この値段ならいいや、と思って買って帰ったのです。
洋服ブラシをかけて、毛玉を丁寧にとっていくと、なんだか思ったよりいけそう。
ついでにウールを洗うように手洗いして、平置きして干してみたら、
ふわっふわ、つやっつやのカシミヤが復活しました。
おそるべし天然繊維。
アクリルじゃこうは復活しない。
やっぱり奴らは生きて呼吸をしているのだ。
きっと手をかければ応えてくれる。
それから、着る度にブラシをかけ、休ませ、初めてのカシミヤとの初々しいお付き合いがはじまりました。
大好きな革製品もそうなのだけど、生きて熟していく彼ら。
大事な動物の命を預かって、一緒に育つような気持ち。
天然のものたちとつき合う醍醐味はここにあるのだなあと思います。
生き物からいただく天然繊維や革。
可哀相だから、買わない、身につけないという選択肢も私は尊重したいけれど、
縁があって出会ったならば、大事に使う。
命亡きあとの「生」も全うできるよう、生き物と暮らすように、つき合いたいなあと思うのでした。
古着屋バンザイ!
しかし、その後古着屋で意外と多くのカシミヤを見るにつけ、復活させたい欲でむずむずする…
それをやっていると捨て猫拾ってくるのと気分は変わらないような気がするのだが…