9月1日のひとりごと
9月か・・・ため息(笑)
SNSにアクセスしても、言葉を失ってしまって、そっと閉じる、の繰り返しでした。夏が終わるから、なんとなく近況です。
緊急事態宣言下での今年の夏は、いろいろ引き裂かれる気持ちの多い月でした。
喜多方のフェスになんとか出演できて、岐阜や豊田の公演が、主催者の大いなる努力で実現できた一方、
同じ週の大阪や愛知の公演は延期に。
1日違いで実施ができなかったり、地域によって引き裂かれる現状に、その度にアップダウンしてたら乗り切れないな、と思いながらも、いちいちちょっと落ち込む自分がいました。
中止になったから悲しい、とかじゃないのですね。
私は去年からずっと、主催者の悩んだ結論は、実施の結論と同じくらい尊いものだと思っていて、「舞台の灯を消さない」ということは、「中止しない」ということではないと思っています。
休むこともそのための努力に違いないと。
だけど、一斉に自粛要請がきて、一斉に止めた時期よりも、ちょっとしたタイミングで明暗を分けてしまう今。
経済的な明暗も非常に大きいです。あの大きなフェスに限らず。
そして、考え方はすごく細分化されて分断されて、ワクチンに対して、ウイルスの危険度に対して、イベント実施に関して、マスクの種類に関して・・・・
身近な人々との一個一個の考え方の違いも細分化しているので、一緒に事業をやる人同士の考え方が完全一致のわけがない。
完全一致で他者を排除してしまうと、もう誰ともコミュニケーションが成立しなくなっちゃうから、相手を尊重しながら、その時大事なことは何か?で判断するしかない。
みんながわからないことだから、「自分なりの理解の仕方」には当然、揺れや偏りがあって、そのことを大前提においておかないといけないなと思う。
でも、こういう時期にこそ、文学や芸術が、深い海の底で生まれているのも実感していて、深く潜る時間があることも事実。
今まで考えなかったようなことを自問自答しながら、私も静かに、書くこととも向き合うようになっています。
来年には、そういう地道なみんなの創作が花開くといいんだけどな。もうちょっとかかるかなあ。
写真は、この夏やれた貴重な公演の、自分の定位置、ステージ脇から。この風景が好きで、自分のいろいろな考え方は、この位置から見ているのだな(多分世の中に対しても)と、舞台がない期間にも実感します。