マヤの暦

常々、暦は重要だなあと思っていて、昨年から旧暦の暦を、自分の体調を記入したりするのに使っている。
そして面白い事に昨年出会った方がマヤの暦を研究している方だった。
それで、教えてもらったマヤの暦も使ってみることに。
「13の暦」も有名だけれど、あれは、マヤの基本的な考え方である「複数の暦を組み合わせて使う」という原則とは少し違うのだそう。

で、伝統的な暦を組み合わせて使う方を使っているのだが。
カレンダーという概念とはちょっとちがうし、占いとも予言とも違う。
が、日、月それぞれに複数のキーワードがあって、そのキーワードから何を受け取るかは本人の自由、という感じは、タロットとかにも共通する気がする。
ただひとつの決まりは、いい方向にしか解釈してはいけない、ということ。悪い予言のようには捉えない。
だからマヤ暦に俗に言われる終末思想はないのだそうだ。
あれは、暦のサイクルが次へいく、というだけの話。

ものすごく示唆に富んでいるし、日常の出来事が、偶然とは思えない程暦とリンクする。
誕生日を調べたり、未来に予定しているものを調べたりしてみると、びっくりするくらい「暦の思い通りか!?」という感じなのだ。
所詮私たちの行動なんて、ごちゃごちゃ悩んでみても星や宇宙の予定どおりなのか、と思ってしまう。
この世の真実のリズムを、マヤの人はなんて昔から知っているのだろう。
この文明の残したものは、もはや現代人以上に科学的でさえある。

しばらく使う中で、静かに自分の中に涌きでるものがありそうな予感。
占いのように誰かに断言してもらうのではなく、キーワードの組み合わせを毎日見て、自分の中に浮かぶイメージを大事にする。
そのイメージに忠実に日々生きることが、宇宙との調和なのだと思う。
それが宇宙の予定通りであったとしても、それもまたまあいいか。


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