新年のおくりものは

「体主義」でいく!と鼻息荒く宣言した年末。
年明けてすぐにいただいたものは、高熱であった。
忘年会メンバーが発熱をして、「そりゃ毒出しだよ!!」とかるーくあしらったのがいけなかったのか。
そもそも人の影響をものすごく受けやすい私は、人ごとだと笑ってる場合じゃなかったんだあー。
母と温泉から帰る道々もう、熱っぽい。鍋を食べながら、調子悪い。途中退場、就寝。
39度8分という体温計を見た時は、その数字に倒れそうだった。

いやーここまで体が戦場になると、「ものごとの意味」は考えなくなるな。
私の悪い癖で、全ての事に意味はあると思い込もうとして(あると思うんだけどさ)、いちいち意味付けて納得している癖がある。そうすると辛い事が楽に感じたり、過程にすぎないと感じることが出来るから。

でも、体がここまでせいいっぱいだと、意味、考えている余裕がない。
ただ少しでも熱下げたい、少しでも眠りたい、少しでも呼吸を楽にしたい。
それだけ。
意味とかいってんじゃねえよ!!

という状態は、体的にはけっこう充実していて、熱が下がったら、すごくすがすがしかった。ちゃんと無心に向かっていって、越えた!という体の実感は、いいね。
体力落ちて、体重も3キロ減って、まだ強烈なめまいと全身筋肉痛みたいのが取れませんが・・・

そして、5年に一度くらいのこの高熱は、私の開かずの扉を開けるらしく、前回も、発熱後感覚ががらりと変わったのだが(その時は嗅覚がめちゃめちゃ鋭くなった)
今回、熱が下がって久しぶりにテレビをつけたら、なぜか涙腺全開で、何を見ても泣けてくる、という変な状況に陥った。
テレビ消してもあれこれ泣けたから、涙腺、壊れたのかな。
悲しいでも嬉しいでも寂しいでも感動でも悔しいでも同情でもない、共振の涙とでもいうか。もう体力ないってのに、めちゃめちゃ泣いた。
それから、もうひとつは全く意味不明ですが、長方形のものが気持ち悪い。
長方形の縦横のバランスが、何を見てもアンバランスに感じる。視覚も壊れたのかな。

とにかく、熱で起きる感覚の変化は面白い。
意味を考えず、それはそのまま受け取っていいのだろう。
数年前の発熱以来の嗅覚は、結局いまだに合成香料を受け付けない、という生活の変化をもたらしている。
おかげでうちにある香りは、アロマオイルと、天然香水だけだ。
熱もまた、脱皮の一手段なのだろうね。
長方形、排除はさすがに難しいとおもうけど・・・


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