魔法の言葉

リアルな夢をよく見る。
長時間睡眠でも疲れがとれないのは、このせいじゃないのかなあ、と思う。
起きた時にぐったり疲れてることも多い。
ならば短時間に、と思うけど、体力がもたないのだ、ぜんぜん。

でも、たまに夢は私を救ってくれる。

ずっと何年も見続けている夢がいくつかある。
そのひとつは、ある人物と、夢の中で何度もお互い傷つけあうものだ。
詳細は省くが、相手を非難し、罵倒し、どれほど自分の方が愛され人間的に上かを誇示しあう、非常に不愉快な夢だ。
現実に似たような経験をしてから、何度も同じシチュエーションでそれを見るということは、その現実を全く消化していない証拠だ。
その夢を見る度に私の心は折れ、いつも夢の同じ所で目が覚め、絶望的な気分の朝を迎える。

最近。また同じ夢を見た。見ながら展開は分かっている。
同じシチュエーション、同じ言葉。同じ展開に夢の中の私はいつも新しく傷つき、新しく泣く。最悪だ。
でもいつもと同じ目覚める直前、私を打ちのめす決定的な言葉を相手に投げつけられた時、夢のなかの私は答えたのだ。
「そんなことどうだっていい」

そう初めて言い放った開放感ったら。
夢の中で、心の底から私は、なぜか突然、本当にそんなことどうだっていい、と思ってしまったのだ。
相手は、ぽかんとしていた。
その顔を見て、憎しみも傷も消え、この人の人生と交わることはもう二度とないということが分かった。
憎んでも憎んでも意識し続けていた相手。それがその一言で私の人生から消えたのが分かった。
ああ、これを解決と呼ぶのか。
現実は何一つ変わらないのに、それは確かに解決、なのだった。

そこで目が覚めた。
ああやって言えたらいいな。
外的要因ではなく、自分の心持ちの変化以外に、「解決」というのはありえないのだな。
人を変える事はできないけれど、自分の心持ちは、夢の中のように、いつか変わるんだ、絶対に。

その数日後、仕事場で、仲間がある先輩と舞台の話をしていて、いろいろ参考意見を聞いていたときの事。
仲間の小さなこだわり(でも私にとってもそれは重要だと思えるこだわり)に対して、その先輩は、
「そんなことどうだっていい」
と言い放ったそうなのだ。
それを仲間から「すげえやられたよ!」と聞かされた時、
これは私に降って来た魔法の言葉だと思った。

そう言えるようになるまでこだわり続ければいいんだな。
いつかそのこだわりが、溶けてなくなって、その先輩の作るもののように美しいものに昇華されるまで、その対象とまみえよう。

しょっちゅう見るあの夢、次はどういう展開なのだろうか。


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