感覚がひらかれるのは

風邪をひいたのか、おなかを壊したので、しばらく何も食べる気がしなかった。
空腹だと、力が入らない・・・のだけれど、不思議、感覚は非常に冴え渡る。
やっぱり本能的に、飢餓の時にえさを探したり危険から身を守る名残なのかな。

それにしても、久々の空腹感で感じたこと。
空腹というのは、基本的に、体としては「快感」なのかも。
外から中へ、ではなく、中から外へ、感覚が開かれる。
と、外から見つめていた自分ではなく、体の要求する自分に、ちょっとなれる。
だから、断食とか拒食なんかもある意味、いろいろいっぱいいっぱいつまりすぎた体の、本能の快感を求めた結果なのかもしれないな、と思う。
極端な方へ走らなければならないのは、あまりにも満たされているからだ。
満たされていることが幸せとは、限らない。
足りないくらいが、意外に快感なんだ。
体に要求がある、ということの頭じゃない幸せ。

でも、いいかげんお腹に力がないと仕事にならないので、回復食に、古代米を入れたおかゆを炊いた。
沖縄の塩と、自家製梅干しでいただく。うまい!!
体が、養分全部を取り入れようとするから、こういうときの食事は大事だ。
でも、久々に味わった満腹感によって、絶対に、感覚のある鋭かった部分はもとに戻って鈍っていく。
体の中がとたんに来客でわさわさし始める感じ。不思議だなあ。

まあ、拒食に走るつもりはないけれど、本当に本当に開かれた感覚が必要なときは、余分なものを入れないことだ、と思った。
昔の宗教者の修行は、あながちはずれてはいないのか・・・


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