境界線

27日、久しぶりにライブに行った。
最近お仕事で初めて御会いしたバイオリニスト金子飛鳥さんのプロデュースするライブ。
この方にレコーディングでお会いして、そのバイオリンの音に痺れてしまったのだ。

私は本当に弦楽器が苦手で、あの弓が弦を擦る音や、音程が少しでもずれるとぞわぞわしてしまう。しかも、バイオリンを音楽ではなく、プライドで弾く人が多い気がして、今まで積極的に聴いた事は一度もなかった。もちろんCDも持っていない。
なのに、それが覆される音だったのだ。

で、このライブ。
編成は無国籍な自作パーカッション、キーボード&ピアノ、インドの笛、そしてバイオリン。それにインスタレーションという、摩訶不思議な世界。場内にはお香がただよう。
曲はほとんどメンバーのオリジナル。
訳のわからない一種独特な世界に連れて行かれるようでありました・・・
それは、とても気持ちのよい連れて行かれ方。
音楽が分かるとか分からないとか、そんなことはどうでもよくて、身をたゆたわせてごらん、といわれているようだった。

彼女を見て何より私が感じたのは、
「境界線を超える」ということ。
エレクトリックなサウンドとアコースティックの境界。
クラシックとワールドミュージックとポップスとの境界。
バイオリンと他の楽器の境界。
楽器と身体の境界。
見る人とやる人の境界。
日本と他の国の境界。
年齢や性差。

そんなもの、どうでもいいよ。と言っているみたいだった。
スタイルではなく、魂で。

きれいごとは、みんなMCでよく言う。
平等とか、平和とか、感謝とか喜びとか、でも、それは音楽家である以上、いくら言葉で言ってても、演奏がそうでなければ意味がないと思う。演奏と言葉が矛盾している人もよくいる。
それとは真逆に、飛鳥さんは、難しい事は言わず、バイオリンで全てをしゃべっている気がする。
このひとは、自分が演奏でこれほどまでに明らかなメッセージを出している事を気付いているのだろうか?
そう思うくらい、それは、自然な発露だった。
自分で境界線を一つ一つ壊して超えて来た人の、確かなメッセージ。

構成や、演出に、あ、もうちょっとこうしたらすごくいいのに、とか、彼女のイメージが多分具現化出来ていないのだろうな、と思う部分もあるのだけれど、それをさしおいても、その音の出す言葉に、私はやられた。

お客さんが半分は子どもたちだったのも、共演者のおじさま方が、けして愛想良いとは言えないのも、なんだかよかった。


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