漏電放電

大好きなパントマイミスト山田とうしさんが本田愛也さんと組んでいるユニット「漏電放電」の公演を見に行く。
以前見たとうしさんとシモシュの舞台「少年とイルカ」は、例えば懐かしい手が、そっと頭を撫でてくれるようなそんな作品で、、私の人生三本の指に入るくらいの大好きな作品。

今回は・・・・見終わってとてもさみしかったなあ。
音が、言葉が、ずっとずっとのべつまくなしに流れていて、私は迷子になってしまいました。

相方、本田さんのソロ作品は、ひとり芝居の形で、セリフがあるのだが、「作品のためのマイム」ではなく、「マイムのための作品(芝居)」という印象。
マイムを見せたいがために芝居を手段にしているようなかんじ。

とうしさんのソロは、無音だったら・・・とずっと思う。
音楽が常に鳴っていて、想像しようとすると、それを邪魔する。
心の中でずっと耳を塞ぎながら見るのだが、どうしても「踊り」に見えて来てしまう。
マイムを見て初めて「意味がわからない」と思い、取り残された寂しさを味わう。
今までこんなことなかったのにな。
想像しようなんて思う間もなく、勝手に物語は心の中にあふれてくる、そんな感じだったのに。

最後の二人芝居は、セリフもマイムもあり、楽しめるのだが本質にぐっと迫る感じはなく、いつものとうしさんを期待していた私はちょっと残念。

パントマイムというカテゴリを妙に意識させられて、逆にそれを難しいと感じてしまったのが、全体の印象。

音も言葉もない場所で、初めて見える物があるのを教えてくれた人なのに。
無音だからこそ生まれる物があるのに。私はとにかくそれが大好きだったのです。
だから今回は正直に残念です。


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