にわか評論

どうもスポーツ観戦の苦手な私。
努力全面、涙全開!みたいなのに加え、ハラハラドキドキしなくてはいけないのが、
どうも精神的に苦手。(これは選手側じゃなくて報道が)
オリンピックも例外でなく、ほとんど観戦したことがないのだが、
フィギュアスケートは、あんまり競技という気がしなくて見てしまう。

今回ラッキーにも、女子のフリーがちゃんとリアルタイムで見られた!

その時の風を掴んでいるひとというのは、だいたい滑り出しで分かる気がする。
前回、荒川静香さんなんて、もう直前の練習風景で「あ!この人いく!!」と思ったし。
絶対、まとってる空気が違うのだ。
ほんとは、実はみんな気づいてるんじゃないのかなあ。

で、キムヨナさん。
もう日本は真央ちゃん一色なので、あんまり大きな声でほめるのははばかられますが、
すごいなー!文句無しに金メダルの空気が出来上がっていた。
雑念のない、静かな演技。

ライバルの事も国の事も最終的には昇華して、ちゃんと作品として完成していた。
人種や人間性や年齢、現実的な諸々をスパッと超える部分がないと作品とはいえないと思うし
努力や基礎も、そこに見えてはいけないと思っている。

ただただ、無理のない、気持ち良さそうな幸せそうな滑りが、基礎に裏付けられているだけだ。
基礎や努力は、見てる側にその有無をチェックされ始めたら終わりだ。そんなこと忘れさせなければ。

あとは、鈴木明子さんが素敵だった。
あの人は、もうキラキラしてた!
安藤さんの、とにかく自分!!という自己アピール度高い滑りがちょっと鼻についてしまうくらい、鈴木さんのあの、人に届けようとするエネルギーはすごかった。

真央ちゃんは、のびのびと滑ってほしいだけだな。
多分彼女ものびのびと滑りたいだけなのに、今は皆の期待が自分のやりたいことにすり替わってしまっている感じがしてかわいそう。
身体のトレーニングとかもういいから。
硬直したその表情と心を、周りの人と一緒にまずほぐして、と思ってしまう。

まあ私は、見方が完璧に、スポーツじゃなく芸術作品として見てしまっているので、
フィギュアという基準からは大きく外れると思いますが。

そもそもフィギュアって、スポーツなのか、疑問。
けれど、全てが客観的数値で判定されてしまうものだけでなく、
こういう主観の入らざるをえない競技がオリンピックに存在する事は、すごくいい事なのだと思う。
八百長だのなんだのと疑惑が出ても、最終的に人が判断しなければならない競技がある事が、
人類の祭典だし、多様性を認めていく事の象徴的な意味なのだと、私は勝手に思います。

フィギュアだけでなく、どうしても一筋縄でいかない複雑な結果の出るもののほうが、私は好きなんだな。


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