舞台ウィークのレポート

先週は舞台三昧。
お手伝いの舞台の為に、数日都内にリハーサルに通い、その後毎日別の舞台の観劇。
日によっては作業のために、都内と一時間半離れた埼玉を2往復なんてのもあって、睡眠不足で倒れそうでしたが、それにしたって、そんなこと関係ない!と思う程舞台は楽しい。
しんどい事、もどかしい事、全部含めてもやっぱり舞台以上に私を揺さぶるものには出会えないのだと実感した一週間。

ただ、重い作品だった事もあって、つくづくそれを受け止める体力のなさは痛感。
腰が日に日に固くなっていくのを、なすすべもなく気力で乗り切る。
舞台って、見てるだけ、手伝ってるだけでも、とにかく疲労困憊。
逆に気力は満ち満ちていくので、これってすごい集中力なのだなあ。
やる側の人の気が知れない(笑)

見たもの、手伝ったものはこちら。

「肝高の阿麻和利」
沖縄のうるま地域の中高生が、その土地の歴史をもとにした物語を、踊りと音楽と共に演じる。

素晴らしかったのは組踊と楽団!
伴奏も、三線も打楽器も唄も、全て中高生が担当。
それがまた、真剣に物語に食い込んで、熱さを感じ取りながら音を出しているのが十分に伝わって、驚きだった。絶対大人が交じって指揮していると思ったのだ。
そして、沖縄の伝統の踊りをアレンジした組踊も、みんな体全体を使い切って表現していて、本当に気持ちがいい。
これにぞくぞく血が騒ぐのは、私に沖縄の血が流れているからなのかなあ。

ただ、芝居は早口&方言&音響の調子で非常に聞き取りづらく、構成も分かりづらいのと、ゲストの東儀さんは必要なのか!?と思ってしまい、残念。
そして、盛り上がりが延々と続くエンディングも、感動的なのですがちょっと食傷気味。
主に大人の責任でもあるそれらの部分を、どれだけ取り除いてシンプルにしてあげるかが、
課題なのだろうなあと思った。

「オヤケアカハチ」
コンセプトは上記作品と同じ。それを沖縄石垣地方の子ども達が演じる。こちらは小学生も参加。
そして音楽、生演奏は名前を聞けば一発のプロのミュージシャン。
子ども達の舞台にプロが変な形で入ると、こんなに異質なものになるのか、とびっくりした。
清々しい子ども達の踊りも、その生演奏によって、なぜか芸能事務所の発表会のような雰囲気に感じてしまうのだ。
温度が全然違う。音楽とは、こんなにも舞台全体をがらりと変えるのか。
子ども達が駒のように動かされているようにさえ見えてしまい、ちょいとショック。

舞台に関わる裏方達の姿勢は、けしてその完成と無関係ではない。
それを心せよと言われた気がした。

「父と暮せば」アンリミテッド版
それを見た直後の本番。私は専門外の音響で参加。
脚本の完成度の素晴らしさに稽古段階から感嘆させられる舞台。
井上ひさしさんは好きだし、他の作品も、別の版も何度か見ているのに、新鮮。
ただ、今回ドラマリーディングという枠組みで行われたという一点が、最後まで私には意味がわからなかった。
舞台セットもあり、動きも普通にあり、ほとんど本のいらない状態でなお、本を握っている事の不自然さと不自由さが、最後までつきまとった。
見てる側は、二人の出演者の本が開いているのか閉じているのか、そこにも目がいくのに、いつめくるのか、いつ目を落とすのかにも注意がいくのに(注意がそがれるのに)、そこに意味を見いだせなかった。
役者陣が好演しているだけに、本さえなければもっとつっこめるのに、という思いを最後まで否めず、ああ、残念。
ただ。経験値も全然違うし、今回初めて出会った二人の役者が、共に足並みを揃えて大切に大切に作品を創ろうとしているまっすぐな姿勢は、稽古のみならず本番の舞台からも十分に伝わった。
それが何よりも嬉しい事だったし、胸を熱くした。

大事な事がぎゅっと詰まっていた一週間。
私が、何を愛し、何を許せず、何を求めるのかを、いくつも突きつけられた一週間。
私の足りないもの、大事な感覚、頑張るべき事、全てではないけれど、こんなに濃い密度で見せてくれた事に、とにかく感謝するしかない舞台ウィークであった。
あああー!疲れたよーーー!!


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