星回り

もうだいぶたったので書けますが、しばらく前に起こったある問題に、ちょっと絶望感を味わっていて、そのむなしさとありあまってしまった思いの伝えどころがなく、結果、とにかく不調だった6月。
私なにやってるんだろう。という空回り感でいっぱいでありました。

身体のメンテナンスも全然出来ないし。
許しと感謝と愛は、スピリチュアルの王道でありますが、
全く逆行の私。
みんな口当たりのよさそうないいことばかり悟ったように言ってさ、
キレイな言葉を口にすればキレイな自分になれるという、因果応報逆バージョン望んでばかりでさ。
と、ひたすらいじけていた先月。

・・・前置きが長くてごめんなさい。
そんな時に、整体の事を検索していて見つけた方のブログに、この方の紹介がのっていました。
筋トレ
占い、最近全然信じないけれども・・・と思ってみたら、
うわー当たりまくり。
というのではなく、「ひとつもきれいごとの書いてない希望」
のようなものが、ぐっと伝わってくる文章なのだった。(いや、当たってもいるけど)
この人は、絶対に嘘を書いてない。
不安にさせるのではなく、力や勇気を与える言葉。
そして彼女は、星占いが当たるとも当たらないとも思っていない。
どんなスピリチュアル系説教より、これに救われました。

道はあるんだよ。
ということを、人を励ますためでなく、星占いを通して見て来たその事実によって
自分自身を奮い立たせるように、書いている人でした。
だから、上から目線じゃない。
けど、地平だけから見たら目先にとらわれることを、ちゃんと俯瞰して見てる。
上から目線と、俯瞰、似て非なるものだよなあ。

冒頭の事件後しばらくして、私の星座の欄に書いてあったことにまさにリンクするように、そこを抜け出したのだった。
むなしさは他の事への情熱へ変わり、大事な事は誰が犯人かではないということもわかった。
自分が悪いのでもなければ相手が悪いのでもない、でもどうしても歯車が合わない。
それって単純に嫌ったり憎んだりするよりよっぽどめんどくさい感情を生むけれど、それがね、非科学的でも「星回りだな」と思えたら、少し笑える。
相手のタイミング、自分のタイミング。軌道がずれていたら、交われない。

星回りだ、と片付ける事は、待つ事を学ぶ、ということでもある。
その問題が起こった時、私は確信を持って「10年後の解決のために」というキーワードで動いた。その真意は相手には全く伝わらなかったけれど、星の時間で考えたら、きっと直感は正しかったのだ、と思えるし、伝わらなかった事もまた、相手の星回りのタイミングなのだと思える。

だって、占いで使われてる、冥王星やら天王星、何十年何百年と一つの星座に留まるんだって・・・ああ、かなわないでしょ。
でも、占いに使う星は10個あるから。
その個性と役割はいりまじり、それぞれの人に、それぞれのタイミングでいろんなものを運んでくる。

誰にでも道はあるんだよ。
風もふいてくるよ。
あのとき、教えてもらって、本当によかった。
今は迷わずに、吹いて来た新しい風に乗る時なんだなあ。
なんか、わくわくするな。


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