魂のふるさとへ2

3日目、久高島に向かう。
天気予報はこの日「雨です!傘が手放せません!」
と言っていたのに、意外にも、曇り。
フェリーの待合所の売店で、おにぎりを注文したら、その場でぐわっと握ってくれて、
その慣れた手つきがすごく頼もしくて、なんだか島に渡る勇気が湧いて来た。

自分で決めたけど、あの島は、渡るときとっても怖い。
去年も、やっぱり今年も、「行っていいのかなあ」と思いながら、あの空気の濃い、何者かがわんさか空中を舞っているような濃密さに負けないように、と思いながら、リラックスなんて出来ずに肩に力を入れてフェリーに乗り込むのだ。

港についてすぐに、拝所のようなものに挨拶をし、
前日電話をして他の宿は埋まっていたが唯一、
「鍵のない部屋がひとつだけ空いてますがいいですか?」
と言ってくれた久高島宿泊交流館に、まず荷物を預け、あとは、歩く。

怖いのだけれど、心の底が静まり返る。
懐かしい、と思い、ありがとう、と思い、ただただひとりで、静かにゆっくり歩く。
今日は、迷ってもいいんだ。帰らなくていいから、ゆっくりどこへでもいけばいいんだ。

ゆらゆらと歩いていると案内板があり、島の最高の聖地と言われるクボーウタキへ着く。
去年はここに来れなかった。
嬉しくて泣きそうになりながら、ご挨拶。
ウタキの持つ空気はどこでも、本当にひんやりと透明で、なぜかそこだけに吹く風がある。

どうやらこの頃からウタキセンサーが全開になり、帰るまでにいくつものウタキを見つける事になる。
看板のない地図に乗っていないものがたくさんあった。
去年はひとつも訪ねる事ができなかった、島全体聖域の中にある、さらに小さな聖地。
たくさんたくさん挨拶をした。
「おじゃまします」
「ありがとうございます」
「またいつか来ます」

島の一番下の部分が港で、ずっとうねうね歩いて行くと、細長い島の終わりはカベール岬。
途中、巨大がじゅまるの作る大きな日陰があったり、馬小屋があったり。
もはや自然と一体化したおんぼろ車が、歩くようにのっそり通り過ぎたり、
木陰で木とおんなじ色でしゃがんでぼんやりしているおじいがいたり。

それも過ぎると、人の気配が消え、ただまっすぐとカベールへ続く道。
神々しいくらいすっと伸びたその道を歩いて、岬につくと、目に入る大きな大きな海。
そして、その一番先端ぎりぎりの岩場に立ったとたん、曇っていた空の雲の切れ目からピカーっと強烈な太陽光が差し込み、舞台のスポットライトのように私を照らす。
ああ今、「ようこそ」と神様がこたえた。と、思った。
涙があふれた。

待合所のおばちゃんが、がしがしと握ってくれたおにぎりをそこで食べ、もりもりとまた歩く。
浜に降りて裸足になって海につかりながらひたすら歩いたり、ぼんやりしたり勝手に出てくるうたをうたったり本を読んだり言葉を書いたり。

食堂で沖縄そばを食べて宿に戻ると那覇初日のように、眠くて眠くて体があっという間に縦を保てなくなり、早々に寝る。
ゆらゆらといくつもの夢を見ながら、全く体を起こす事が出来ない。
よく歩いたなあ、雨の降り始める音がするなあ・・・

翌朝は雨。風も強い。
窓を開け、風に揺れる木を見ながら、どうするよ。と思う。
外以外過ごせる場所の全くない島。どこも回れそうにない。
チェックアウト後早いフェリーで帰る事にする。

しかし!チェックアウトしたとたん傘はもういらないくらいの小雨。
とりあえず港に近いふたつしかない食堂の一つに入り、この旅ベストワンになった「ニガナの和え物定食」
を食べる。
うまいこれ!!
ニガナという沖縄の名前通り苦い菜っ葉の千切りに、だし、白身魚を和えたもの。
もずくの天ぷらもついてきて、もう、超お気に入り。
わしわし食べてるうちに、外はなんだか晴れ間も見えて、こりゃ帰る気ないぞ。と予定変更。

最終5時のフェリーまで、ほぼ、一日目とおんなじ繰り返しを飽きる事なく。
いや、言葉にできないいろんなことが島と私の間には起こっていて、ちっとも繰り返しではないのだけれど。
ひたすらひたすら、久高島に流れる時間のゆっくりさに身を任せ、港を後にする。

素敵な島の人たち何人かと、控えめに言葉を交わし合ったりはしたけれど、
基本的には、自分一人の内側と、島という全体が呼応し合うような静かな旅。
これをテンション高い那覇という都会ににピュアに持ち帰る事はできるだろうか。
と思いながら、本島の港からバス停へ向かう道で、車から声をかけられる。

「あなた、どこに行くね?那覇いくよー乗っていきなさいー」

つづく


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