体のこと

からだは、ほめられる事が少ない。

私の場合はそうだった。
運動神経良くなかったから、なんでこんな事ができないの!?って昔から言い続けたし、すぐ体調を崩すから、なんで体力ないの!と責めたし、
どうして、ここにぜい肉がつくかなあ、とか、どうして必ず乗り物酔いするかなあ、とか、もう少しがんばりが利かないかなあ、とか、どうしてここがこんなに固いのかとか、なんで便秘ばかりするの、とか、不満ばかりだった。
いいところなんか、見つけてあげなかった。

働いて当たり前。怠けたり不調が見つかったり、人と比べて得意じゃない部分があるとすぐ責める。

でも、腰を悪くしてもう杖を買うかな、と思って行った整体で、先生は一発でそれをなおしながら、私の体をべた褒めした。
「すごくすなおないい体だよ、すぐに治るよ。」
ことあるごとに通うようになったが、毎回毎回、ほめるのだ。
「わかりやすい体だね」「君は本当に体が賢い」「悪いものはなにもないよ」

何回か通ったヨガの先生も、数年来続いていた別の不調を知る由もないのに、
たった一言、「あなたが背負うことはないのよ」と私の体に向かって言ってくれた。
奇跡かと思う程、その一言で、不調の症状は二度と現れなくなった。

最近通い始めた整体ワークショップでも講師の方までも「よく反応する体です」とほめてくださる。

ほめれば育つ、という単純な考え方は、私は正直持っていないけれど、彼らは、意味なくほめているわけじゃない。
私の体のしゃべっていることがちゃんと聴こえているのだ。
ずっと不満を言われ、すっかりすねていた体。体には体の事情ってものがあるのに。

その声を聴いてくれる人たちのおかげで、体はすっかりとご機嫌をなおした。
そういう人に会うと、なんか、調子いい。なんか、心地いい。
体の細胞がふるふると喜んで震える。

だったら、私も、トレーニングやらコントロールやら、自分の都合のいい方へ体を変えようとする前に、まずは体の声を聴こう、と決意、寝る前30分を体の時間にした。
整体のワークショップで教わった事を中心に、ただ体を楽に楽にゆるめる。
最初は、トレーニング系と違って、やってるぞ!という実感のない、手応えのなさに飽きたけど、何日も続けると、ちゃんと聴こえるのだ!!
例えば、頭皮の固さが部位や時間帯によって全然違ったり、体のあちこちさわって、寝る前と朝起きてからでは、触られる感覚が変わったり、右手と左手、それぞれの気の出方も感じ方も違ったり・・・そんなこと、知ろうともしなかった。
牛肉の入ったものを食べると、全身が負担!!って叫ぶ事、嫌な場所に行くと、奥歯を噛み締めている事、本当に好きな音楽を聴いた時、足の裏がすーすーする程、何かが出て行く事。
今まで見過ごしてきた、かすかで、小さな反応。けして声高にではないけど、体はずっとしゃべってる。

すごいじゃないか私の体!
それに気づくだけでどういうわけか、便秘もなぜかなくなり、都内に出て具合悪くなる事も、今回なかった!

無理しない。周りの人の体力や気力にむりやり自分を合わせない。疲れたら休む。
そんな事にも、ようやく罪悪感を感じずにすむようになってきた。
なんか、いとおしいなあ、ほめて、ねぎらってやりたいなあ、自然と、そうなる。

自分を好きになることは、まず体を好きになることだ。
この会話を重ねた先に、その人に合ったしかるべきトレーニングがあって初めて、体は心と一体になるのだろう。
体は、ずっとずっと一緒に歩む、友なんだな。


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