教える事はクリエイティブ

この年になって何かを教わるというのは、理屈抜きに楽しい。

わたくし今、期間限定で、とあるボディワークのレッスンに通い中。
何をしてたかは、期間が終わって変化を体感出来たら書きますが、
久々に、生徒になる感覚を味わっております。

いろんな先生のクラスに出る事ができるので、
とりあえず今は、相性探しで、毎回違う先生を体験しているのだけれど、
どの先生も当然基本は一緒。
それをどう自分の身体の中に通して、生徒にどう伝えるか、
その作業は、先生によって一人一人違うので、
もうその人固有の創造力なのです。
どんなにすばらしいメソッドも、
誰が、どのように伝えるかで全然意味の違うものになる。

そういう意味では、別に教師がいわゆる「現役プレイヤー」である必要はなく、
(ピアノの先生がピアニストである必要は無く)
そんなことよりも、教えることはクリエイティブなことで、
教えることそのものがアートであり、
すなわち教師はアーティストなのだと
教師自身が知っているかが、とても重要なんだなあと
生徒として感じます。

教え方によって、それが自分の身体の変化になって現れる場合と、
身体が緊張して固まる場合と、如実。
言ってること一緒なのに不思議。
教師自身がエネルギーに満ちて、幸せそうだったら、
なんだか基本メソッドをすっとばしたとっぴょうしもない話も、
身体が素直に受け止めて変化するから不思議。

どんなに「基本」に忠実でも、
教師自身の自信のなさや弱さが、みえてしまうこともあるから、
教わる身としては、ちょっと切ない。
「教えるということは、アートだ」ともし先生が
自分自身で確信してくれていたら、
生徒に伝わる情報は、とても豊かになるのに、と。

そして、教わる側も、
「どうしたらいいかわからない」、「なんとかして」、
と依存しては深くは進めない。
新しい事を学ぶという事は、これもまたクリエイティブことであり、
教える人と教わる人の相互創造なのだ。
アートは、人と人との間にどこにでも存在するものだということを、
図らずも発見させてもらっています。

大人になって、
立場も関係なく、成績や評価も関係なく、
何かを学ぶのは、なんだかとても贅沢。
ときどき冷静に先生を観察してしまいつつも、
面白い時間です。


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