ぎっくり腰で思う

人の不調報告なんて、愉快な事なにもないのですが、
今じゃないと、また治ったらすぐに忘れちゃいそうなので書いておこう。

数年前の腰痛で、仕事を全部取りやめ、杖売り場を覗くほどだったとき、
電車や町中は、恐怖でした。
人のスピードについていけないということは、こんなにも危険なのかと痛感したから、
治ってからは、電車で人に席を譲る事も(断られたって全然良い)、
必要そうなら車椅子や白杖の人に声をかけることも、
駅で見知らぬ知的障害の子に手をにぎられたらそのまま話しながら目的地まで行く事も、
人として抵抗なくやるようにはなっていたけれど、ずいぶんあのときの切実な気持ちは薄れてきていたなあと思う。

乗り換えがギリギリなら駅を走るし、エレベーターも歩くし、
車椅子を見かけても、多分駅員さんがいるだろうと思って目的地に向かったり。

昨日、ぎっくり腰を旅行用キャリーバッグでかばいながら乗り換え駅でゆっくり歩いていると、
子どもが走ってぶつかってくる事に(大人なら私倒れてたな)
エレベーターの脇をすごい勢いで追い抜いて行く事に
前の人が急に立ち止まる事に、
何一つ自分がすぐに反応出来ない事に愕然とした。

無表情に座ってスマホしか見てない人に席を譲って下さいとは言えず、
エレベーターで順番を無視されても文句も言えず…

いや、いつもはしょっちゅうそんな事に怒りを感じていて
たまに嫌みの一つも言っていた自分なのに、
そんなエネルギーは全く湧いてこない。
あの「普通の人たち」の波が全部怖いんですよ、たかが腰痛一つで。
「普通の人」が私に舌打ちしてくると泣きそうになるんですよ。

「あなた大きい荷物もってしんどそうね」と声をかけてくれたのは、
私と同じくらい腰のまがったおばあちゃんでした。
「腰が痛くて」と弱音を吐くと、
「あら若いのに可哀相に、あたしらなんかもう年だからいいけど、若いもんはかわいそうよ」と。

やっと人間に会えた、と思いました。

いつでもだれでも「普通の人たち」の波からは外れてしまう可能性があるし、
そもそも普通の人たちってなんやねん
たまにこういう体験をしておかないと、つくづく人は傲慢になるな、と思ったのでした。

忘れないでおこう、元気になるとすぐ忘れてしまうけど、
やっぱり、あの凶器のような波の一員には戻りたくない。


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