偏っていること、フェアであること

地元で開催されたふたつの政治的な講演会に顔を出す。
とは言っても、政治家のそれではなく、同じ年代の、独自の活動をするふたり。
そして主催は、どちらも地元の志あるイベントを丁寧に作っている、オーガニック系のカフェ。
こういう場で、政治の話を聞けるというだけでも、なんだか本当に貴重だなと思います。

午前中は、ブロガー座間宮ガレイさんの選挙お勉強会。
選挙に関心のなかった彼が、震災後から政治に関心を持つようになり、
山本太郎さんはじめ、いろんな候補者の応援をしてきたけれど、
今は、政治に無関心ではないけど詳しくはない「おっかなびっくり層」(彼の造語)に向けて、
データの読み方や新聞の読み方を通じて、偏らないフェアな視点で政治について関心を持ってもらうというスタンス。

それでも、けっこう内容は詳し目で、私の周りのほんとーうに関心ない人、理解できるかなあ?とちょっぴり不安。
とはいえ、ヒントになる話はたくさんありました。

トランプがなぜ勝てたのか、ヒラリーとの選挙の戦い方の違いの話には、学ぶものがたくさんあるし、(ヒラリーが大集会ばかり開いたのに対し、トランプは小さな会合を各地でたくさんひらいたのだというような話)
選挙がっつり興味ある人たちに向けてではなく、「ふつうのひとたち」の興味を引くには、コミュニケーションする余白があることを感じさせるチラシや会場選びやアピールが大事、という部分は、まさにです。(信条に熱い人たちの「これが正しいんだ」攻撃は私も少々食傷気味)

なんですが、やっぱり本人のスタンスが見えにくいのはもどかしいというか、
大きな視点で世界を見たときに、今どう見えているのか、その大きな流れを根拠を示してもらって聞きたかったなと思いました。
なんというか、データの各論ばかりで総論がみえないというか。
とはいえ、思想信条に固まった人たちからは聞けない言葉が多かったので、全体を見渡す力と、それをやわらかく翻訳する力のバランスが合うと強力だなと。

午後は、脱原発、辺野古基地反対座り込みなど様々な反戦平和活動を繰り広げてるベジタリアンのAKOちゃん。知り合いではありませんし、中年男性ですが、AKOちゃん。
パッチワークされた手製の服はパッチワークすべてに過激なメッセージやスローガンが書き込まれており、風貌も仙人か?というようなスタイルで、一目見たら引く過激さ・・・

語り口はやわらかく愛に満ちているけれど、思想は非常にはっきりしていて、しかも情報や数字もはっきりしている。表には出てこないけれど、裏付けのある情報だということがちゃんと分かる。

あれ?わかりやすいかも・・・とだんだん引き込まれていきました。
彼の意見には賛成できることも反対なことも疑問なことも保留なことも私の中にはいっぱいの反応があって、それは、彼がはっきりとスタンスを打ち出したからこそ、私の中に沸き起こったのだということ。

そして、自分の意見が正しいと言っているのではなくて、「ぼくはこう思う」を打ち出し、他人の意見の違いを認めているので、AKOちゃんはいわば「偏ってるフェア」な人物。

なんだ、偏っていることとフェアって、同居できるんじゃん。
というのがその日の大きな学びでした。

立場を明確にせずにデータをフェアに出して関心を持ってもらおうとする座間宮さんと、
明確すぎる立場でもなお、違う立場の人と語り合い、好奇心を引き出そうとするAKOちゃんは好対照の二人。

でも、期せずしてバブル崩壊で就職氷河期を味わった人と、バブル崩壊で仕事を失った人という共通点の中で、ある意味、世の中に希望を感じないのがデフォルトになっている私たち以下の世代の言葉が分かるひとたち。
高度成長を知っていて、あの希望のあった時代を知っている世代とは、ちょっと世界の見え方が違う。
この世代が新たな価値観や動き方を見出していかなくちゃいけないし、いけそうだなという別の意味での希望が見えました。

それにしても、どちらも、いわゆる講演スタイルって、質疑応答とか参加者同士の交流って、いかに少ないかというのも実感。

聞くと頭が活性化されるから、私すぐに質問したり、意見交換したくなっちゃうんだけど、そういうものでもないのね(笑)
質問を自由に出しにくい、というモヤモヤした気持ちを味わったことは、私の場の作り方を今後考える上でもいい勉強になりました。