2012年のはじめに
ずーっと苦しんでいた問題にひとつ、風穴があいたのが2011年。
震災があったこと、広島に行ったことが、大きな影響を与えていたと思う。
私はいままで、自分の周りの世界のことだけをことさら大事にしてきた。
自分の生活、自分の感情、自分の身体、そして自分の愛するごくごく小さなコミュニティ。
それは基本的にとても大事な事。
それを無視した時期もあったから、なおさらこだわってきたのだと思う。
でも、去年の始め、ふと思ったのだった。
自分が芸術に少しでも関わっていきたいと思っている時に、世界の状況を見つめなくていいの?
戦争や、差別や格差や、宗教の対立や、経済至上主義や、そいういうものは全て
自分の外側に置いてきたのだけど、本当にそれで芸術活動なんてやってていいの?
特に私は創る側ではなくて、それをサポートする側なのだから、芸術と社会をつなげる観点が必要なはず…と思っていた矢先に、震災が起きた。
私は、全然動けなかった。
ショックを受けたり怒りを感じたりしたけれど、芸術と社会をつなげる動きなんて、
ひとつも出来なかった。
ただただやる事に決まっていた舞台を、一生懸命作っただけだった。
周りの人が何度も被災地に行ったり、募金活動をしたりしているのに、私は動けなかった。
それで(というわけじゃないけど)広島に行った。
被災地でもなんでもないけれど、原爆ドームを再び見た事とオノヨーコの作品に出会った事は
自分の中を大きく動かした。
で、やっぱり自分の中に立ち返った。
私の中にある憎しみ。
私が向き合う事が出来ずにいたそれを、まず解き放したくなったのだ。
戦争だの差別だの憤る前に、私の中には私にしか解決出来ない問題が潜んでいる。
今年の後半にその人に数年ぶりに会いに行った。
会ったら解決、じゃない。
会った事によって生じた新たな面倒も満載だ。
でも長い時間をかけて、自分が陥りがちな感情の本質を知り、人との関わり方を学ぶべきなんだと知る事ができた。
そうしたら、やっぱり社会とつながる芸術活動の必要性に自分が戻ってきた。
簡単な事で人を憎んだり排除したりしてしまう自分、だからこそ
きれいごとではない事も言える。
悟ったような生き方ではなくて、悩みながら、
でもやっぱり世界が平和でありますようにという思いを発信していきたいと思った。
例えば具体的に「原発はいらない。」「基地もいらない。」
そういう意見を選択して表明いくことと、自分の憎しみを解放していくことは、私の中で今まっすぐにつながっている。
自分に向き合う事と、社会に向かって発信することは、両輪なんだ。
とはいえ、単純にそれをスローガンにして芸術に持ち込むのではない方法を模索したい。
十分きれいごとな言葉なんだけど、本当に今年の始めにそう思った。
私の2012年のテーマは、「解放と発信」
しろぐも、もうちょっとマメに書きます