瞑想体験
ここ数週間、自分が真剣に動かしたいと思った大きな岩が動き始めて、
心身が常に興奮状態にあった。
とにかく人に会って話したり、お家の大改造始めちゃったりと慌ただしくて、
それはそれでとてもワクワクする素敵なことなのだけど、
その興奮に、そろそろ体は疲れている気がしていた。
それを時間をかけて静かに沈殿させ、上澄みをすくうようなプロセスを本能が求めている感じがして、Tao Zenというところの瞑想のワークショップに参加した。
もともと整体や気功、ヨガ等、体メンテナンスへの興味は尽きないが、なかなか定期的に通う事ができず、さらに瞑想なんて、最もめんどくさそう、と敬遠していたのであるが、
数年前から気になっていたTao Zen主宰の大内雅弘さんの著書「セルフ・チネイザン・タッチ」(内臓のマッサージ法のようなもの)は理屈抜きに気持ち良くて、その導入部分にはなぜか「瞑想」がある。
私が信頼している整体の片山洋次郎さんも、ワークショップでは体をゆるめる過程で瞑想に近い事をしてたし、どうも私の好きなものには、瞑想が自動的にセットになってついてくるらしい。
これはいつかやらないといけないんじゃないの!?とは思っていたのだけれど、
ようやく必要な段階に来たのかもしれないな、と思う。
初めてお会いする大内さんは、なんだかとても「満ち足りた人」。
いでたちも空気もすごく普通だし、スピリチュアルな事も言わないし、現実的で理にかなっているし、それがまた逆にとてもスピリットを尊重している感じがする。
言葉と、それを発する身体の両方に嘘がないから、大内さんの言葉はひとつひとつ、とても力を持っている。
しゃべっている姿を眺めているだけで、自分の体がリラックスしてゆき、もう講義聴かなくても十分!という感じだった。
実際には短い瞑想の方法をいくつか試しながら、その意味を話していくのだが、ものすごく腑におちたのは、
「自分の健康や成功のためだけにやると、意外に力を発揮しない。それがちょっとでも社会と響き合う方がいい。でも、それを目的にするとまた違うものになってしまう」というようなこと。
分かりやすい実例として、チネイザンの手法も取り入れて「腎臓をあたためる」というのもやってみたのだけど、自分自身でやっているのと、他の参加者と組んでお互いにやり合うのでは、効き目が全然ちがう。
やってもらうのもやってあげるのも同じく、体から喜びが溢れてくる感じになって、
会場中が一気に温かくなった。本当に気温が上がったじゃないかというくらい。
これは片山さんのワークショップでも、全く同じ事が起こる。
同じように、瞑想も帰って一人でやるよりみんなでやっていた時の方が、逆に深い集中ができていた気がする。
みんながそれぞれ自分に向き合っているだけなのに、みんなで大きなものをふわあっと抱きしめているような感じ。
すごくいいコンサートとかは、割とそうなるという実感があるので、音楽に近い力があるのかもしれないな、と思う。
帰ってから忘れないように日常生活に取り入れているんだけど、あのときの気持ち良さには至らない。
「瞑想と、ぼーっとしてるのとは、一体どう違うんだ!?」と悩んでしまうくらい、一人でやる瞑想は心もとないのだ。
でも、あの場にいた事はしっかりと身体が記憶している。
だからなんとなくでも適当でも続けてみればいいんだろうな、と思う。
何かが変わるとか悩みが解決するとか病気が治るとか、そういう即効性ではないんだと大内さんも言っていたように、分かるような分からないような合間をゆらゆらと漂いつづけているうちに、自然に自分自身がみつけるものがあるのかもしれない。