自分に戻る

本日、仕事が一つ終わる。
提出期限の差し迫ったものを届けにいった帰り道、ふと「あ!渋谷を通るなら!」と思って
ギャラリールデコへ直行。
ちょっとだけ、見たかった写真展がやっていたのだ。

ギャラリールデコは、私が数年前、訳も分からず市ノ瀬泰造という今は亡き写真家の写真展&ミニ舞台の受付をした場所。
今になって思うと、写真なんて何にも知らなかったあの頃、あんなにエネルギーの強い写真と数日を過ごした事は、何とも言えない影響をうけているようなのだ。
あれ以来、どんな写真を見ても、あれほど心を震わせる事がなくなった。(いいんだか悪いんだか)
私の写真初体験が彼だった事は、今は、感謝と驚きだ。

で、その懐かしいルデコに足を踏み入れ、やはり写真の穏やかさに心和むような、でも物足りないような気分で展示会場を回っていた時に、ふっと、気づいた。
私、今、何にも考えずに写真を眺めてる!!
ここ数週間ずっと締め切りと自分の責任と、仕事の方法の模索で毎日が過ぎていた時、
今この瞬間、自分自身に戻った事に気づいて驚いた。
ああ、こういう瞬間が必要で、人は絵や写真を見るのかもしれないな。
大きな衝撃はなくても、自分が自分に戻る感じ。
自分の感性だけでそこにいる感じ。
何かに深く入って行く時、脳が止まって、ただ、心だけで感じているとき。
すごく、リラックスするんだってことがわかった。

この時間のないなか、なんでギャラリーに飛び込んだのか、よくわかった。
ぎりぎりだったのね。自分に戻りたかったのね。
その身体の発する直感に、あきれるやら、ほめたくなるやら。

そして帰り道、ふと買った本の中に、こんな文章があった。
「本音と隔たりがあればあるほど、結果は反対の方向に出る傾向がある」
つまり、世の中で成功してる人は、けっこうわがままで、自分の欲求に素直だと。
それを押し殺して善行を積もうとしてもうまくいかないと。
自分の本音に忠実になって周りを巻き込める程の信念があるかどうかだと。

あ、私今この言葉を求めていたよ、と読んだ瞬間に立ち上がりそうだった。

本音というのは、社会通念とは別物かもしれないけど、自分の中にそれを失ったら、
今自分で選んでやっている仕事には何の意味もない。
いいんだ貫いて。
というか、貫かなかったら、あっけなく失敗するんだ。
身体と心の声を聴いて、直感に従って。
時々は説明出来ない無茶もして、行け!と思う瞬間を見極めて、
やっていけばいいんだな。

というわけで、今日は飲もう!と思うのだった。
明日からまた、激動なのだから。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。