センスの違い痛感「コンテンツの秘密」を読んで

川上量生「コンテンツの秘密」を読む。

鈴木敏夫さんの本が好きなので、「ジブリの仲間たち」を読んで、
その中に川上さんがプロデューサー見習いで入ったという記述を読み、
アナザーストーリー的に手に取った本でした。

ん〜、私にはどうにもつまらなくて…

なんだか、人の言葉の分析だけで終わってる感じ。
「〜らしい」とか「だそうです」「〜のようです」とか伝聞が多すぎる。

でもね、分析って大事だと思うし、創る側が言語化できないものを
易しい言葉に落とし込むということは絶対に必要だと思っていて、
そのクリエイターサイドではない分析そのものは期待していたのだけれど…

「コンテンツ」とは何か、とか
「クリエイターの苦悩とは何からくるのか」とか、
「理屈か感性か」など、
取り上げる切り口は面白いんだけど、その分析が全部薄っぺらく感じる。
なんだか、クリエイトについて語ることいろいろが全然共感できない。
いい写真や、いい音源に関する考察なども、全くうなずけない(笑)
どうしてこうも気があわないのか…

良し悪しというよりは、私は、川上さんのセンスが全然好きじゃないんだなと感じたし、
創る側の論理から自分が抜け出せないからこうなっちゃうのかな、とも思うし、なんたって自分にはものを売る側のセンスはないことは自覚しているので、川上さんの頭脳についていけないということなのかもね。

同じ売る側の人間でも、私鈴木さんの本は好きなのに、その違いはなんなんだろうなあ。
鈴木敏夫さんのは、理屈じゃないんだよなあ、
自分でリスクをとって勝負してきた実践と、あの手強い監督たちに太刀打ちできるだけの哲学を積み重ねてきた凄味があるんだよなあ。

そして、スケール感の違い。
鈴木さんは、映画をメディアの中のコンテンツという枠では考えてないように思う。
なんというか鈴木さんのやりかたはもっと生身の泥臭くて、人の感情以上のものを揺り動かすように感じさせる。
川上さんは、コンテンツをあくまでメディアに乗っている「情報の中身」と捉えている。
メディアというバーチャルを飛び出さないから、どんなに深堀りしてもそれはバーチャルなリアリティのない分析に思えちゃうんだよな〜

というわけで、全然自分にはヒットしなかったというか受け入れられなかったコンテンツ論。
そういうものに出会うのもまたよしと思う本中毒ではありますが、これは、買わなくてよかったな。(図書館さまさま)