ビターな映画を噛み砕くには、語り合うこと@不思議なクニの憲法

松井久子監督作品、映画「不思議なクニの憲法」を観る。

憲法をめぐるここ数年の動きの渦中に登場する、学生、若者、弁護士、学者、政治家(自民党の!)、主婦、海外支援スタッフ、障害者などあらゆる人がいろんな観点で憲法と自分の身の回りを語る。

そして同時に、戦後、マッカーサーがどうやって憲法を作って、日本はどう動いていったのか、その政治状況が過去の映像と共に、瀬戸内寂聴さんを中心とする戦争体験者たちの証言とリンクしながら語られる。
いくつもの軸が絡み合う、インタビュー集でありドキュメンタリー。

重量感たっぷりで、かつ複雑。
私たちが憲法のことについて考えなくてはならない角度はこれほど多様なのかと途方にくれつつも、戦後から現代に至るまでの憲法の成り立ちや考え方の変遷には、釘付けになった。

学者の冷静きわまりない解説もおもしろい。感情を排した話って、むしろ説得力がある。

そして障害を持つ親子が言う「障害者が地域の真ん中に居られるかどうかが、その社会の成熟度を表す」という言葉が、まさにまさにまさに!
(これは、『障害者』を、マイノリティーとか、貧しい役者とか、しがないミュージシャンとかに置き換えてもいいと勝手に思うのです笑)

気になるのは、しょっぱなから深刻に煽る音楽と、初めに偏りの見られるインタビュー人選。
それで一瞬「苦手かも!」と身構えてしまった。(後半はバランスいいのに)
少ない予算で作っているからか、編集もちょっと粗くて、エンターテイメント映画を見慣れた世代には、違和感があるかも。
そんな些細なことも、初めて観る人の心にはハードルがある。

小さなことをどこまで追求して、どこで割り切るのかは、アート作品じゃないから難しいけれど、
もう、政治とか憲法とかって、本当に心のハードルだらけなので、
観客の間口を広げる(なおかつ心の扉も広げる)意味ではやっぱり必要な追求だなとは思う。

それにしても、これは、いろんな軸を自分の頭の中で整理して、歴史と、様々な考え方を自分で噛み砕いて、さあ、あなたはどうする?と突きつける甘くない映画。
そこに必要なのは、知識だけではなく、自分の中に培ったマイ哲学。知性。

という意味で、私も難しかったし、憲法初心者(なんだそりゃ)が理解しきるのも多分ちょっと難しい。

その上で、私は、こういう映画が、劇場公開よりも自主映画という形で広まっていくことが、やっぱりすごくいいと思うのです。
こういうのは、立場の違ういろんな人と見ないと。
そして、観た人たちが感想を語り合わないと。
その事こそが、自分がどう感じていたのかを補完し、持ち帰って継続して考えるエネルギーを与える。
対立しないで語り合う知恵もつける。
ただ見て、ただ静かに帰ったら、理解度が深まらない映画だなあと思ったのでした。

そう思えたのは、後半の監督と共に語るトークの中で、監督が有無を言わさずいろんな参加者にランダムに発言をさせていたから(笑)
この時間を通して、私の中で映画が胸に落ちたのだと思う。
人間的で、YESもNOもはっきり言う監督につられるように、だんだんものをいいたくなる参加者たち。
この映画の中の人たちのように、何か語りたいものをみんな持っている。

そのことを表現させる力こそが、多分映画の力やクリエイターの力というやつで、
真面目に憲法を勉強するだけでは、おそらく得られない力。

そして、その一人一人の「表現したい欲求」が満たせる「運動」というものがあるならば、
単に画一化したスローガンを掲げる反対運動を超えて、市民が国を動かす希望になるのかもしれない。

というわけで、一人じゃ理解できないビターな映画を噛み砕く、
後半のトーク集会も秀逸だったのでした。

私も、文化芸術という場で表現したい、させたい、みんなが表現者である社会を、つくりたい。
私のそれが12条する(映画参照)だ。