熱の功名

週末関わったライブで、島崎智子&シモシュの演奏に心がぎゅっと苦しいくらい熱くなり、そこへ出演していた初めてみる中川五郎さんに完璧に心奪われ(もうね、歌詞が脳を通りませんよ、胸直撃です)帰って来たら案の定熱を出した。

熱が出るとたまに、ものすごく研ぎすまされてハイになる時があるけれど、今回もある時間帯から急に妙に研ぎすまされはじめ、ふと台所に目がいった。

私は片付けがとてもとても下手で、常に雑然としているのだが、あんまりものは壊れない。
なのに、昨年末に限っては食器類が次々と割れて行った。
なんだか地に足の着かない生活をしていて、ていねいな暮らしに全く興味がなくなって、毎日を雑にすごしている数ヶ月の間に、何度も何度も、皿の割れる音を聞いた。
「またやっちゃったよー」と割れたものを処分する時に、ようやくその周りのものが片付くような、最悪の生活ぶりだった

で、熱を出した今日、台所をふと見たら、好きでも嫌いでもないものはすっかり壊れて姿を消し、残っているのは実は気に入っていないのに丈夫で壊れなかったいくつかと、本当に大事で表に出ていなかったほんのいくつかだったのだ。
嫌いなものと好きなものが混在している台所を見て、熱のある頭で半泣きになった。

なんで大好きなものを毎日使わないで、どうでもいいものばっかり使ってたんだろう。
私はすごく好き嫌いが激しいのに、なんで毎日使うものに妥協してるんだろう。

そこで熱のある頭で、とりあえず台所の食器類を「好き」「嫌い」に全部分けた。
そして、「好き」の中でも毎日使いたいものをさらに選り分けた。

先日新しく衝動買いした有田焼の深いブルーの茶碗。
数年前に買った漆のお椀。
友達が引越で処分しそうになったのをもらいうけた、これまた深いブルーの大皿。
友達からの旅先のお土産の箸。
安物だけど使いやすい木のスプーン。
親戚からもらった琉球ガラスのグラス。
初めて自分で買った萩焼の湯のみ。

とりあえずこれで生活してみたらどうなのか。
で、足りないものでこれらと同じくらい好きなものが現れたら買い、それ以外はすぐに取り出せない所へしまう。
やっぱりないとさみしいなと思うものは、しまった所から戻す。
次の自分の誕生日まで使わなかったものは全て捨てる。

うん。とりあえずしばらくこれで。

という判断は熱があるからこそだな。
熱がないと、「もったいない」とか余計な罪悪感をどうしても感じるからな。
食器に限らず、自分が何が好きで何が嫌いなのか、いつも問いかけながら誕生日までをすごそう。


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