私には、欲がある。
私には夢がある、なんて話は、青臭いながら未だに仕事仲間とすることもあるけれど、
「私には欲がある。」
そう、人前でふと口にして、なんだか泣きそうになった。
それが夢ではなくて欲であることが、うれしくて。
その欲をうまく語ることはできないけれど、
例えばこういうこともひとつ。
私は見ていないけれど(TVないから)、貧困の女子高生を扱ったNHKのドキュメントが炎上し、それをめぐる意見もまた様々に炎上している中で、目に入った真逆の二つの意見を読んだ。
前者は、税金は将来の納税への投資だから、納税できる可能性のないものへは投資する必要がない(偏差値の低い者はどうせ貧困に陥るし、年収の低いアニメーターの仕事などの学校の奨学金へ税金を投入する必要はない)、全ては自己責任だといい、
後者は、誰でも、いつ自分が事故や病気で生活保護を受けたりするかわからないのだから、貧しい者の「贅沢」の度合いを事細かに監視し、非難するよりも、援助を受けながらでもそれくらい豊かさが保障されたっていいじゃない、と言える社会が成熟しているし、人類の進歩だ、という。
この意見を書いた二人の事を良く知らないけれど、
二人とも自分の事業でけっこう立派に「稼いでいる」上での意見。
つまり、稼いだお金がどんな意味を持つのかが、
同じお金でも人によって全く違うのだ。
働かざる者食うべからず、ということわざが、
二つの意味に使われるように。
払う税金が、投資なのか、公共の福祉なのか。
これは経済政策の正解がどっちかではなくて、
自分の生き方として、どうありたいか、だと思った。
私は、後者でありたい。
お金や、豊かさは、やっぱりシェアするためにあると思うし、
私はそういう社会とそういう自分の生き方を根本にして、
なおかつ「稼げる文化芸術」を、ちゃんとブチ上げたい。
偏差値や年収では計れないアーティストの価値を、
ちゃんと世の中に浸透させたいし、
彼らがそこそこの生活ができて、そのことを子どもにも見せたいんだ。
ごく普通に、自分を表現して幸せに生きるいろんな方法が、この国にはあるんだと、
希望を語れる大人でいたいんだ。希望を語れる国であって欲しいんだ。
うまく言えないけど、私の欲は、例えばそういうこと。
それだけじゃないけれどね。