初めての石巻と、パリのテロと、中東と。

初めての公演先の石巻へ、初めて仙石線に乗って、一人で向かった。
仙台と石巻を結ぶ仙石線はようやく今年の5月に全線再開したのだそう。
松島を通り過ぎる風光明媚なはずの車窓の風景は、かなりの距離に渡って造成地。
ダンプやショベルカーが何台も作業をしていた。
東北は本当にがんばっているのだ、今も。

正直言って、私はあの震災当時、本当には東北に心を寄せることはできなかったように思う。
直接の被害を受けた友人はおらず、報道以上のリアリティを感じる事はできていなかった。
ボランティアにも行けなかったし、寄付も継続的には続けられなかったし、
自分の事に必死だった。
哀しみに飲み込まれたくせに、何を置いても力を尽くすような原動力が、なかった。

だから東北に縁のある人たちが嘆き悲しみながらも超具体的な動きを起こしているのに、
私はウエットな涙を流しつつ、後方支援をすることすらままならなかったことを、ずっと申し訳無く思っていた。

初めて石巻へ行って、地元の電車から町を見て、そこの人たちと実際に公演を一緒につくり、酒を飲み、語り、その人たちの言葉を聴きながら被災地を周り、
やっとやっと4年も過ぎてから、あの出来事のリアルの断片を見たのだ。
遅い、遅すぎる。

それでも、その生身の土地を知り、そこに友人ができたら、
それはやっと人ごとではなくなる。
具体的に自分が出来る事を知り、何かあったら駆けつけようという理屈ではない衝動になる。

石巻に居る間、パリの連続テロのニュースを見た。
私にはパリに住む友人はいないけれど、ニアミスでパリに行っている知人がいるかもしれなくて、
本当に恐怖した。
そこに、生身の人がイメージできたから、人ごとではなかった。

逆に、私は中東に知り合いがいないから、欧米諸国の空爆でたくさんの人が亡くなっている事にリアリティを感じる事が本当にはできないでいる。
それでもこの前の高遠菜穂子さんの話で、やっと少しだけ近くなってきた。

知る事、出会うことは、スタートラインなのだな。もちろんそれがゴールなどではなくて。

もし東北に、沖縄に、日本中に、世界に、友だちがいたら。
大事な人と、大事な場所こそが、人に動く力を与えるのだと思う。
初めての石巻で、痛感した。

願わくば、世界中にそう思える場所と人と出会えたらいいなあと思う。

石巻のことは、もう少し落ち着いたら改めて。