1970年代半ばに生まれた私にとって、リアルタイムの20世紀の音楽とは、全てテレビから流れてきたものである。記憶の初期は松田聖子、田原雅彦らアイドルの全盛期。その後グループアイドル、おニャン子クラブや光GENJIに同級生たちが夢中になり、X JAPAN、Mr.Childrenといったバンドブームと同時に槇原敬之らシンガーソングライターの楽曲がカラオケで歌われるようになった。
テレビの音楽番組では、毎週生放送で彼らが歌い踊る様子が流れていた。歌のうまさよりもアイドル性や衣装や演出、振付が重視され、テレビサイズに短くカットされたショーを私たちは「音楽」なのだとすりこまれた。音楽とは、耳を傾けるものではなく、ライブ風の映像を見るもの。
関東郊外のマンモス団地からマンモス公立校に通う私たちにそれ以外に音楽と出会う場所はなく、地元で開かれるコンサートは親世代向けの演歌やグループサウンズばかりで、ラジオを聞いたりライブに行くような先進的な同級生はほぼいなかった。中学生の頃にCDが生まれたが、結局私たちにとって音楽は、メディアを通してヒット曲を聴くものであった。
みんながハマっているそれらを、私はどれも好きになれなかった。当時は大量生産こそが良いことで、音楽もドラマも映画も、全てはテレビが届けるマス向けの作品。選択肢がふんだんにあるようで実は少なく、人と違うものが好きだと言えばはじかれる。かといって一体感はなく、個々で好きな人にハマっていく、個室化していく音楽は、癒されもしなければ連帯感も感じることができないものだった。
私たち氷河期世代の気質と、この音楽シーンの特徴は無関係ではないだろう。
私は大衆の最大公約数的な音楽シーンからこぼれおちたが、幸いにも吹奏楽部や英語の先生が教えてくれる古い洋楽やミュージカル、クラシックを通してテレビでは流れてこない音楽に出会うことになる。戦後から1970年頭くらいまでのそれらの音楽は、何度も聞きたくなる複雑に絡み合った旋律や、歌詞カードを覚えるほど魅力的な歌詞があり、連帯して社会的なメッセージを訴える手段にもなっていたことに、心底うらやましさを感じた。
「20世紀の音楽」というとき、私が生まれる前の音楽こそが「音楽」だと感じ、自分に寄り添う同時代の音楽だと思えるものに出会えなかったという悔しさがある。
その渇望が、今の仕事のコンサートや舞台の企画制作には生きているのかもしれない。高尚な趣味を持つ人だけを対象にした伝統的クラシックコンサートでもなく、大衆を取り込んだだけのJ-popでもない、個人個人に届くものを作りたいと切実に思う。
20世紀は、生きる時代と地域によってどの種の音楽と出会えるかの明暗を分けた。私の世代ではヒットしマスメディアに乗る音楽ばかりがもてはやされた。しかし、21世紀前後からの特にインディペンデントな音楽は、デジタル化の時代の中で私にとっては一つの希望である。大勢が好む音楽でなくても、少数へ届けることが可能だからだ。神、王、ブルジョワ、大衆へと届ける対象の変化とともに常に姿を変えてきた音楽が、「壁」を超え、本当の意味で「個人」に届くことを、私は目指している。
2024年執筆 2026年公開