京都の街を歩いた時、初めに目に入ったのは水だった。
鴨川沿いは老いも若きも、みんな河原で好き好きに過ごしているし、小道の小川でも、散歩する人、ベンチでぼーっとする人、みんなリラックスしている。それは世界的な観光地の表側とは違う普段着の街の顔だった。そんな京都の水の道を巡ってみたいと、思い立った。
前日の雨が嘘のように晴れた青空を見て、ホテルの近くにある無鄰菴を訪れることにした。山縣有朋の別荘だったところで、小ぶりな庭園が見どころだという。拝観は予約制で、1時間ごとに入場時間が定められていて、午前中がちょうど空いていた。
庭園に面した母屋に座って解説の始まりを待つ。目の前には流れる小川、芝の丘、小ぶりな木々の奥には東山が広がっていた。建物の柱や屋根を額縁とした絵画のようだ。枯山水庭園を眺めると水墨画のようだと感じることがあるが、そこにあるのは、油彩で描く日本の風景のように見えた。
庭を歩くのは、さながら絵の中に入っていくような感覚だ。足を踏み入れると、水の流れる音が聞こえてきた。庭を設計した山縣有朋が、水が滞る池ではなく、川のように流れる庭を作りたかったがために琵琶湖疏水を直接引いたのだという。そんな特別なことができたのは、山縣の政治家としての権力があったからだよ、というのは解説の人ではなく、隣の男性が連れの外国人に話すのを聞いて知った。プチうんちくのおこぼれがありがたい。
琵琶湖疏水とは、明治時代に衰退する京都の命運をかけて、琵琶湖から京都まで水路を建設したプロジェクトだ。思えば京都には小さな水路が多い。
南禅寺も、ずっと水の音がする場所だ。寺に至るまでの道沿いにも水路があって、結構な水量の水が流れている。街の中にあっても水は透明で冷たい。
三門を通り、立派な本堂をお参りした後、目に飛び込んできたのは、寺院の純和風の雰囲気の中にあって異質な巨大な煉瓦のアーチである。琵琶湖疏水を運ぶために、明治時代に築かれた水路閣だという。石畳、木造の建物、そして煉瓦。なんという和洋折衷。なんという大胆さ。
寺の敷地にどかんと水路を通してしまう懐の深さに圧倒された。京都は古いものを頑固に守り続けてきたという印象があったけれど、こんな大胆な変化も受け入れるのか。
水路はその先も続く。永観堂から哲学の道、そして駒井家住宅まで白川疏水を辿ると、時に意外なほど激しく、水は動いていた。住宅地の中を流れる水路ではご婦人が立ち話をしたりと、やはり生活の中に染み込んでいる。
埼玉県の山里に住む私の町にもきれいな川はあるが、それは夏の間、観光客がバーベキューや水遊びをする非日常の場所だ。京都では、日常に川があり、何もしなくても過ごせる場所があるのはいいものだなあと羨ましく思った。
旅の最後に、私もベンチに座って川を眺めてみた。流れる水を見ていると、時間と場所の感覚がなくなってくる。なるほど、京都の人たちは流れる水を愛でながら、古の時代から近代に至るまで変わり続けた京都の風景や政治的な力学までも飲み込んできたのだなあと思う。
流れる水は腐らないが、水に流すとは、忘れる事とは違うのだろう。ふと、そんなことをおもった。
2023年10月訪問・執筆。2026年再録


