3/25 自分たちで選択できるという「納得」

3月25日

4月に企画制作していたライブを、延期を決めました。
そのことで、なんだか妙にすっきりした私がいます。
なんでなんだろうってずっと考えていたら、
「やっと自分達で選択できたから」
なんだと思いました。

もちろん、延期は本望ではないし、関わってくれた方への報酬の問題もあるし、
本当に観て欲しくて年明けからリハーサルを始めていたし
全然喜ばしいことじゃないんだけど、

今までの舞台の仕事のキャンセルは全部選択不能だった。
行政からのストップ、会場の閉鎖、主催者の判断。
依頼されて公演を行う私たちは、その結果を受け入れるしかなく、相談を受ける立場ですらないことが多い。
しかも、大きな営利団体ではないその人たちに、とても補償を求めることはできない。

そういう意味では、今回は初めて、自分たちで判断できたんですよね。

日本のワイドショーは全く見ず、海外のニュースサイトはずっと見続けていて
感染症の専門家会議も見て、連日の感染の増加具合、特に地元県での増え方も見て、
いろんな人に意見を聞いて、
やめるコストと続けるコストを計算して、
割り切れない不満も話して、
今、舞台を作る上での感染症に対するスタンスを決めた。

特に制作の立場としては、心配性だとしても安全を守る方を選びたいと思った。
誰から命令されたわけじゃなく、
この状況を見て、自分たちの危機感と感覚で延期を決めた。
どんなに消毒しようが対策を練ろうが、今は(うちの公演に関しては)危険。

そこに、「補償がないから」「自粛要請に強制力がないから」とか、
政治がダメなことを言い訳にして強行するのは、うちは違うと思った。
待った方がいいって、素直に思った。

そのことが、「納得」なんだと思います。

もちろん、上演を選んだ人たちも同じようにデータを調べ、対策を練ってやっているだろうから、
それはそれ。別に否定しません(ただ私は今は行けません)

舞台には出演者以外のスタッフが関わります。
謝礼を払うべきスタッフに、延期を伝え、どのように補填するかを考えています。
彼らにとっては、私たちがそうだったように「選択の余地のない決定」なのは申し訳なく思う。
思うけれども、必ず次の仕事を作るという形で補填をする。

自分で決めていくのはしんどいけれど、
それでも誰かから勝手に押し付けられるよりいい。
もちろん、ここから先もっとシビアな状況になったら、
選択の余地なく従わなくてはいけないことが出てくる。
それでも、その中で、抵抗するも受け入れるも改善策を出すも自分で考えて決める。
だから、自分で考えるために、信頼できる情報だけにアクセスしようと思うのでした。


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