「音楽の続け方を語ろう」高野寛さんの確かな続け方を聞く

時々おじゃまするミュージック・クリエーターズ・エージェントの「みんなの談話室」
1月26日のテーマは「音楽の続け方を語ろう」
ゲストはシンガーソングライターの高野寛さん。

邦楽ポップスを全く通ってこなかった私は、恥ずかしながらほとんど知らなくて、むしろ前知識のない真っ白なままお話を伺うことができました。

といっても、今回は、高野さんが講演のようにお話しするというよりは、
参加者が自己紹介とともに質問をして、それに高野さんが一問一答(いや、一問五答くらいしてくださいました)していくスタイル。
進行はMUSIC SHAREの本田みちよさん。

たくさんの質問が出て、それを全て記録することはできなかったけれど、
どの場でも同じような悩みがあるのだなあ。

例えば、

音楽を続けていくモチベーションが保てない

東京で活動することの意味とは

音楽で食っていけるのか

どうやって続けていけているのか

みんな、ぶちあたる素朴で、切実な悩み。

高野さんの答えは、真剣に考えたり「答えが出ないなあ」などとおっしゃりながらも、とても明快。
それはメジャーレーベルでヒットを出し、その後ヒットを出し続けなければいけない業界の「契約のために音楽を作る」事を自らの選択で辞め、
「小さなライブだけをやる」と決めて全国を弾き語りで回ったという、
ご自身の音楽活動のあり方を自分で決めて歩んできた実感からの言葉だから。
根拠が、絵空事ではなく自分の中にある事の明快さ。

高野さんのお話の中で私がぐっときたのは、
コンプレックスの塊で、いじめもあり、暗かった自分の青春時代に、音楽はすがるような一種の信仰のような存在であったこと。
他の事ができない、音楽しかできないという選択肢のなさが続けてこられた理由でもあること。という部分。

そして、東京に活動拠点を置くことの意味はないし、
音楽専業にこだわる意味もない、
どこにでも音楽シーンはあり、
どんな形でも音楽はその人なりのやりかたで続けていけるのではないか、
という、「ありがち成功モデル幻想」をさらりと超える、本質的な答え。

何よりも、高野さんが音楽を続けていくビジョンの中に

「曲が、いつまでも残ってほしい」

「音楽が時を超える力を信じる」

「ピープルツリーの中で歩んでゆく~自分の好きだったアーティストは、ニッチで少数派だけど、彼らから受けた影響は先の世代にちゃんと伝わっていく~」

ということを語っていたのが本当に印象的で。

「自分を認めてほしい」というスタンスだけでは、むしろ生き残っていけない世界だし、自分よりも音楽そのものの力を信じる事が、音楽を続ける事なのだなと思いました。
音楽そのものの力って、先の世代が連綿と紡いできてくれて、私たちを救ってきてくれたもので、いわば人類の共有財産。
そこに畏怖を感じたり、敬意を払える感性を持っているかどうかって、
実は音楽をやるメンタル上、すごく大きいんじゃないのかな。

なんというか、自分が成功する、食える食えない、プロになるならない、みたいな呪縛から逃れた時に、本当に音楽との旅が始まるような気がしました。
私が見た高野さんは、私たちの少し先を歩く、その自由な旅人でした。

最後に進行役の本田さんが
「バンドや音楽を引退宣言するという意味がわからない」
「やめるとかやめないの選択肢に入らないのが音楽活動なんじゃないか」というようなことをおっしゃっていて、ああまさに、私が最近思っていることで、うれしかったです。

そういうミュージシャンが、そこそこ幸せに、そこそこ豊かに続けられて、そこそこ社会と繋がって生きていけるような世の中が、けっこういい世の中なんじゃないのかなあ。

そういう場を小さくても確かに作っていくのが、歌わない自分の役割だなあと、改めて思うのでした。