パントマイムと一人芝居を観る

先週になりますが、地元のストレッチ教室でのスタジオ公演に初めて行ってきました。
一軒家がストレッチ教室のためのスタジオとして整備されていて、小さな公演も行っているらしい。
劇場では味わえない実験的な、目撃体験。そんなスタジオ公演は大好き。
特に、初めての場所、初めての人、初めての作品と出会うことは。

今回はパントマイム金子しんぺいさんと、一人芝居青山郁彦さんのお二人それぞれのソロ公演。
いわばツーマンライブのよう。
ものすごく、客席が近い。これは見る方もやる方も緊張するなあ(笑)

金子しんぺいさん。

小さなマイム作品を5本オムニバス。

今まではわりとベテランのパントマイミストを見ることが多く、彼らの作品は有無を言わせず泣かされるけど、それとは違う、さらっとした感じ。

ライブのMCのように普通にしゃべり、演目の紙もなく(あれ、なくていいよね)、作品もすごくポップ。

若い俳優がテレビ的なソフトな芝居をしているのと同じように、パントマイミストの若手も、表現がソフトなのね。

「わかれ~!」という強烈な説明をしない。
パントマイムのお約束もそれほどやらない。

それが、空想の輪郭をぼかしてしまう部分もありつつも、そのナチュラルさは心地よく、ああ新時代のカジュアルマイムだなあと感じました。

でもなあ、けしてゆるくちゃいけない場所もあるんだよなあ。
人物の内面の描き分け、自分の伝えたいことの、芯。
そこが、ちょっとゆるっとしてて、物語の世界に連れて行ってくれそうでそこに届かない、もどかしい感じ。

あとは、音楽に「合わせて」作っているのが気になりました。
もちろん、それもあっていいんだけれど、逆も見たいな。心の動きに、音楽が寄り添うような、作り方を。または、最初から最後まで、無音のマイムを。

でも、すがすがしい方でした。

一人芝居の青山郁彦さん。「やたと天狗」

飯能の天狗伝説をもとに、脚色を加えた一人芝居。
その題材に今回一番興味をそそられたので、来たのでした。

殺陣や女形もやる方のようなのですが、
一人で複数を演じ分けるための動きが少々おおざっぱすぎて、擬音が多すぎて、前半特にストーリーがつかめない。
コントならいいのだけれど、芝居としてみると、人の演じ分けは、表面の動きではなく、やっぱり内面だなあ、と思うのでした。

持ち味の情熱と和風アクロバットは、大事なときにとっておいて、
さらりと人物変換し、さらりと場面転換をする方が技術が生きるし、作品が伝わるように思いました。
「さらり」は、技術も身体能力もいるもの。

でもそういうことって、一人で必死でやっていると見えないから、やっぱりピンで立つ人こそ、シビアに向かい合ってくれる演出家が絶対必要。
幕を開けてからお客様の反応で変わるのは当然として(どんな舞台でもそれは醍醐味)
その前にベストかつ客観的な状態で幕を開けるために。

ともあれ、なみやなぎスタジオの意欲的な取り組み、尊敬。
自分がいいと思う人を自信を持って、地元に紹介するプロデューサーや場がなければ、
文化はけして地域に根付かないものだから。
外でばかり公演していて地元では全然企画できていない私には、眩しく思うのでした。