モノが生き方を決めてゆく、と気付かせた靴

ちょうど一月前、5月の初日、待ちに待ったハンドメイドの靴が届いた。
実際に履いて注文して、夫婦お二人で作ってくださる、受注生産のハンドメイド。
(出会いとフィッティングの体験記はこちら
これから新しい世界へ踏み出そうとしている、まさに「今!」というタイミングで受け取れた素晴らしいギフト。
ひと月、履きならしたので、レポ。

出来立てを初めて履いたとき、びっくりするほど、革が固くて、驚いた。
つまり、試し履きで履いていた靴は、時間を経て人に履かれてやわらかくなっていたということ。
いつも柔らかさやフィット感を売りにしてるような靴ばかり選んで来たから、
その質実剛健ぶりに、ちょっと圧倒される。
自分で育てていくのも、持ち主の責任のうちということなんだな。
インスタントに、出来上がった瞬間かららくちん、なんていうことはない。

その後靴擦れの洗礼も受けつつも、履き心地は日に日に変わって行って、
ひと月後、ようやくちょっと仲良くなったみたい。
特に5月は仕事でガンガン歩く月だったから、
一緒に歩く事で仕事の背中も、押してもらった。
これからは、身体の一部になるね。

革には独特の傷や模様があり、動物が生きていたという証拠が、ちゃんと残っている。
市販品の均一さにはない生々しさ。
私は、命のその後を受け継いでいる。
そんな命への責任と、作った人のエネルギーとが、渾然一体となって私の足を包む。

モノにどんなエネルギーや宿るのか、はたまた宿らないのかはわからないけど、
「世界中を歩け」
なんだか、そういわれた気がしてしかたない。
うん。これで世界を歩ける。

モノを大事にしようとか、理屈で言われてもなかなか実行できない。
でも、一年待って、顔の見える人が私のために作ってくれて、
命の履歴がそこに残っていて、これ、どうしたって乱暴になんか扱えない。
彼らの本気のもの作りは、届くのを待っている一年の間だけですら、私の意識を変えてしまった。
まだ靴が来ないうちから、身の回りの革製品の手入れが大好きになってしまった。
作る人の本気は、受け取る相手の怠惰な習慣(私だからですが笑)を、いとも簡単に変えてしまう。

そういうものと出会うということが、人生の質を一つ一つ上げていくということなんだな。
生き方を決めていくということなんだ。

出会った初日のこの写真。

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ひと月後の顔。

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数年後にはこの靴はどこを歩き、どうやって育っているかな。

ご縁を繫いでくれた「陽だまり保育園」は、ずっとつき合っていきたい大切な場所。
そして、この夫婦の靴メーカー「Forest shoemaker」もまた、ずっと長くつき合いたいと思うひとたち。
そういうひとたちと、モノたちと、音楽を通じて出会い、音楽と共につき合っていけることは、私の仕事の何よりの喜びだと、心から思う。

あ!靴下難民の話も、次回(笑)