2020年11月読了・記載 2026年再録
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始まりは、世の中を諦めている、よくある今時の女性の日常。エッセイのような入り口から、日常は奇妙にずれていく。読みながら「何かおかしい」と気づき、あれよあれよという間に非日常に連れ込まれる。でもこれは、本当に「非日常」なのだろうか。現代と地続きの近未来予想図のようにも思える。
エンタメ小説を書いている「マッツ夢井」の元に、ある日召喚状が届く。差出人は、総務省文化文芸倫理向上委員会。マッツの書いた小説が倫理にそぐわないと読者からの告発があり、作者の思考を更生する施設へ収監される。施設の中でマッツは抵抗し、恐怖の末に言いなりになりながらも、どうにか抜け出そうと必死に思考する。
管理人、入所者の誰が味方で、誰が本当の黒幕なのか、分からないのが気味が悪い。誰もが裏切り者に思えて疑心暗鬼になるさまや、本当に狂っているのは自分の方なのではないかと疑うさまは、今の日本の空気とよく似ている。
大きなテーマの一つは、表現の自由と差別やヘイトとの境目についてだ。表現の自由は、傍目には綺麗でも正しくもないものを含むのだという合意は、社会の成熟がなければ得られない。『小説は、正しい、正しくないじゃないんです。出来事をそのまま書くだけで、その出来事を審判するものではない。だって、真実は、あなたの言う正しさとは違うところにあるんですよ。』とマッツは叫ぶ。同じ思いを昨年、「表現の不自由展」をめぐって随分感じた。それでも、つい自分の善意や正義を振りかざしたくなるし、他人の表現の自由を規制することに、ある種の快感が生まれてしまう。そんな人間の性分をこの作品は端的に表していて、何かしら思い当たる自分は居心地が悪い。
象徴的な描写が、収容施設のそばで常に回り続ける風力発電の音だ。自然エネルギーと謳われ、一見良いもののように見える風力発電施設が発する不快な音が、善悪の価値観の危うさを問うているように感じた。
ジョージ・オーウェルが「1984年」を書いてから、70年以上が経過している。それなのに、そこに描かれた思考警察の恐怖は、自由と権利が保障されている今も全く変わっていない。むしろ、「日没」には、2000年代に入ってもこれか、という絶望が漂う。
この小説の中で見いだせる希望はなんだろうか。それを見つけるのは、この現代の日本で見いだせる希望を探すくらい難題だ。ディストピアというだけではなくて、これは、今のシュルレアリズム小説だと思う。