ジ・アート・オブ・ボビーマクファーリン

ボビーマクファーリンはいつか生で見たいと思っていたら、びっくりする程偶然のタイミングが重なって、叶ってしまった。
直前に買えたのは、3階席の一番後ろ。期待できない・・・遠すぎる。と思ったのだけど、全く関係なかった。

ボビーは、自分の声のみで音楽を作る事のできる人だ。どういうジャンルか分ける事も出来ないし、名付ける事も出来ない。
今回は指揮者として、新日本フィルを指揮した。内容はバーンスタイン、モーツァルト、メンデルスゾーンといったれっきとしたクラシックの作品。

始めに棒を一振りしてオーケストラが鳴った瞬間から驚愕した。
オーケストラってこんな音だったっけ?こんなに音が一つにまとまって輪郭がやわらかく、風のように軽かったっけ?これ、本当に生の音だっけ?
あぜんとしている内に一曲目が終わってしまった。

なんでオケからそんな音が出るのかが分かったのは、ボビーのボイスパフォーマンスを聴いた時。
楽員が去って誰もいなくなったステージ場で一人、マイク一本だけで唄うのだが、ああ、オケはこの声と同じ唄い方なのだと分かった。
ボビーにとっては、声で唄うのも、オケで唄うのも同じこと。ホールの隅々までしみ渡る音は、とにかく「幸せな音」だけなのだ。
一つ残らず幸福の音。声も楽器も関係ない。
そして全ての音に必ず彼は方向をつける。自分の歌であれ、クラシックであれ、「構成」というよりも「方向」で音楽を捉えているように感じる。
それが、結果、きちんと構成され完成された立体的な楽曲として聴こえてくる。

それにしても私人生で、舞台を見てこんなに泣いた事がない、という程の号泣。

最近、私は音楽は3次元のものではなく、4次元以上の世界のものだと踏んでいるのだが、これを見たらその予感は確証。
球体をどんなに上手に紙に描いても、実際の球にはならないように、私たちは音楽を、すごく不自由な中でとらえている気がする。立体を一生懸命紙に描いて説明するかのように。
時々説明しきれない感情を沸き起こさせる音楽というのがあって、それは今の世界を軽々飛び越えて、宇宙に通じるような神秘的な感覚に陥る。
それはこの地では表しきれないものだからに違いない。

ボビーのつくる音は全て、そう説明しなければ納得出来ないくらい、聖なる音に聴こえる。
本物の音楽は「浄化」だと思った。

夢のような時間が終わって、抜け殻のように帰って来た。
そして思った。まだまだ世界は、美しいものにあふれている。全てを手に入れる事は無理でも、たった一つそれに出会うだけで、人生を変える力があるのなら、そのたった一つでいいから、私も生みたい。


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